小手川めぐみ
   ようこそ、小手川めぐみのホームページへ。
   5月からホームページ開設の準備を始めました。
   「自分のページのウリをなにかひとつ」
   とアドバイスを受けたので
   「私、日記を書きます」と即答。
   「写真があったほうがいいですよ」
   とのことなので、デジカメもってうろうろすることにしました。
   気軽に、楽しく更新していきます。よろしくおつきあいくださいね。
2006年4月29日(土)
小池さんからの手紙

 しんぶん赤旗の訃報欄に、「個人の遺志により弔電や香典は辞退」の記事が載らなかったため、いろんな方面から弔電をいただいた。そういった方々に「しおり」を送らせていただいた。その中のお一人に小池晃参議院議員がいらっしゃった。

 小池さんは、民医連出身のお医者さんで、大分に何度か来られているが、大分県医療生協がお呼びしたこともあり、哲二とも面識があった。
 昨日、その小池さんご本人から手紙をいただいた。早すぎる死に驚いたこと。しおりを読んで家族が力をあわせ、そしてなにより本人が全力をつくした「闘病」に心から敬意を表すること。そして、哲二の分までも国会でがんばることが記されていた。

 国会開会中の超多忙な身でありながら、一地方の生協の職員の訃報に心寄せていただき、手紙をいただいたことは、本当にうれしかったし、文面からもあたたかさを感じた。

 小池さんは、現在党の政策委員長。そう、あの筆坂さんの後の政策委員長である。
 私は、哲二の死の前後はほとんど、新聞を読めなかった。字面を見ているだけだった。哲二の死後、初めて読んだのは、4月19日付けの「筆坂秀世氏の本を読んで」という不破哲三氏の記事だった。

 筆坂さんは大分とはとても関係の深い方だった。市議選前の演説会にも何度も来られた、なじみの幹部だった。03年、6月の彼のセクハラ事件は、大分の党員や後援会員、支持者の方々に大きなショックを与えた。私もショックを受けた者の一人だ。

 私は、女性議員として、セクハラについて学んでいる知識を総動員して、何度も何度も説明した。「セクハラとは人権問題であること」「セクハラの場合、二次被害を防ぐことが重要。セクハラの内容を説明したりすることは、被害を受けた女性にとっては、それが二次被害となること」「筆坂氏が記者会見をするとそこで被害女性について言及せざるを得ない。被害者探しが始まり、被害者はさらなる被害を受けることになる。それを防ぐことが対応の一番の基本」……。

 そして、「筆坂さんは、一党員として出直す」ことを説明したし、私はそれを願っていた。04年10月7日、哲二は東京出張の折、党本部の見学に行っているが、その時、本部前で筆坂さんを見たよと帰ってから話してくれた。

 党の勤務員として働いているんだなあ、がんばってほしいと思っていたのに。私たちのあの努力は一体なんだったのか!筆坂さんには怒りを禁じえない。彼の書いた本は読んでいないし、読む気もないが、本のなかで「こつこつと地道に活動している党員や地方議員には、いまでも素直に頭が下がる思いだ」と書いているらしいが、地道に活動している地方議員の一人として言わせていただくならば、「『頭が下がる』というのなら、なぜあなたも地道に活動する一党員として出直さなかったのですか!幹部になる前は一党員だったじゃないですか!」・・・と。

 人は、良くも悪くも変わることができるもの。人の人生は短い。死を迎えるとき、いい人生だった、誠実に生きてきたと言える生き方をしたいと思う。哲二の逝き方、筆坂さんの生き方を見てそう思う。

2006年4月21日(金)
ひとりでの生活

 一昨日は次男が、そして昨日夕方、長男が家を離れ、夫が亡くなってから初めて一人の夜を迎えたが、古くからの友人たちが、来てくれた。夫の闘病中も私を精神的に支えてくれた友人たちである。ゆっくりじっくり話を聞いてくれ、癒された。彼女たちが帰ったのは深夜12時。翌日もハードな仕事が待っているのに、ありがたかった。

 おしゃべりの中で、国民健康保険課での顛末を話したら、友人の一人が、「私はこんな経験したよ」と話してくれた。
 彼女の子どもは就職のため市外に転居。住民票の転出手続きをしなければならず、初めて稙田行政センターに行ったそうだ。着いたのは8時15分。わざわざ女性職員がカウンターの中から出てきて、「お仕事にいかれるんでしょう?お急ぎなのにすみません」と、コンピューターが8時半にならなければ動かないことを説明し、書類を書いて待っていてほしいと言われたという。
 また、警備員の方からも、「8時半からなのですみませんねぇ」と声をかけられたと言う。

 「朝からとても気持ちのいい時間だったわぁ」とのこと。話を聞いていて私もうれしくなった。相手の立場にたって考えるとこんな対応になるんですね。

 写真は、義母が自宅に帰る哲二のために庭のプランターに植えたお花です。哲二はこの花を見ることはできませんでした。(22日に書き始めたけれど、なんとなくパソコンに向かえず25日に書き上げました)

2006年4月19日(水)
哲二は最高のパートナーでした

 夫、哲二が逝ってから丁度1週間が過ぎました。彼の遺影を前にパソコンに向かっています。久しぶりにホームページを開くと、管理人さんによる「お別れの会」の掲載や「掲示板」でのメッセージなどに涙があふれました。私のホームページのカウントも確実に増えており、多くの方が待っていて下さるような気がして、日記を書こうと思い立ちました。が、何をどう書こうか・・・と思うばかりなのです。

 ……そうですね、「哲二と恵の夫婦の会話」にがん闘病中の様々な思いを書き留めていけたら……と考えています。また、16日の「お別れの会」にお越しいただき、お花を手向けて下さった皆さまにお渡しした哲二の人となりを記した「しおり」も ここ に収めたいと思います。

 この「しおり」は、13日〜15日にかけて、哲二の職場の同僚でもあり長年の友人でもある田辺さんと力をあわせつくりあげたものです。「通夜・葬儀はごく近親者のみでおこない、1週間以内に『お別れ会』を。そして、お供えや弔電などすべて辞退を」……という哲二の遺志どおりのお別れができたことは、私にとって本当にうれしいことでした。16日は、750人ほどの方が哲二との別れに足を運んでくださいました。本当にありがとうございました。「カラ元気」がしばらく続くかも知れませんがお許しください。

 哲二の職場から、「12日までで資格がなくなるので、息子の健康保険をかえる手続きを急いだ方がいい」とアドバイスがあり、早速「国民健康保険課」に電話をしました。19日に息子は県外へ行くため、早急に手続きをしたかったのです。

 電話で問い合わせると、「以前入っていた健保組合の資格喪失届けがなければだめです」「なぜですか?」「そういう決まりになっています」「後で出します。保険証と死亡届などがあればいいじゃないですか。私は国保に入っているんですよ」「だめです」「じゃあその間、病気になったらどうするんですか」「全額自己負担で支払っておいてください」「それは、あんまりじゃないですか!上司にかわってください」

 ……待たされること数分。担当補佐が電話に出て「事情は伺いました。特別ですが、手続きをします。必要な書類を持ってきてください」

 ……個人的なことなのでここまでは名前も名乗らず、議員とも言わず職員とやりとりしましたが、一般市民への対応の仕方を垣間見ました。窓口に行くとさすがに担当者は驚いたようです。担当補佐には「個人的なことなので、一市民として電話をした。大事な人を失って大変な思いをしているときにもう少し対応の仕方に配慮がほしい。全額自己負担はないでしょ!」と釘をさしましたが……。

2006年4月5日(水)
鬼のカ・ク・ラ・ン

 私は、あまりひどい風邪をひいたことがない。風邪の引き始めはのどが痛くなるので、うがいをして、ひどくならないうちに休む。そして……食欲だけはある!というのがいつものパターン。

 ところが、3日の月曜日、朝起きると身体の節々が痛い。さらに、胃がぎゅっとつかまれたように時々痛む。でも、「あれ?昨日なんか筋肉痛になるようなことしたっけ?」「なんで胃が痛いんやろ?おなかすきすぎてるんかな?それにしては食欲がないなあ」なんて思いながら、前県議堤栄三さんとの朝の交差点の街頭宣伝へ。

 でもなんか、今日は身体がヘン……と首をかしげながら家に帰ると、どうしても動けなくなり、とにかく布団にもぐりこむ。熱をはかると7度8分まで上がり(平熱が5度台の私にとっては一大事!)午後、病院へ駆け込む。

 点滴を打ってもらい、なんとか気分は少しよくなったが、4日の地元の後援会の花見は、泣きの涙で欠席。(雨のため事務所で、それでも参加は18人も・・)後援会のみなさん、ごめんなさい!

 今日は、マスクをして必要最低限のことをするためにちょっとウロウロした程度。過労もあってのダウン。身体が危険信号を発したのでしょう。半世紀使った身体はあまり無理はきかないということですね、反省。

 家にいてテレビをつけていると、外資系のA保険会社のコマーシャルの洪水にのまれそう。おまけに「今度医療費の負担が増えるということで資料をお求めになる方がとても多いものですから、ご案内をさせていただきたいと思いまして……」と勧誘の電話までかかる始末。

 もう一つの洪水は、民主党の代表選挙の報道。鳩山会館で花見の宴……ですか。今、国会開会中ではないですかねぇ。

 障害者自立支援法で124人が施設を退所したり、その意思を示している大変な事態のことや「行革」法案の審議でこれが成立させられれば、公務員は国・地方とも減らしていくので30人学級はお蔵入りすること。今でも基準を満たしていない消防署職員が増やせないこと。米海兵隊のグアムへの移転にアメリカが世界に前例のない移転費用9千億円を出せと迫っている問題。……もっとメディアが取り上げること、たくさんあると思うんですけど……。やっぱ「しんぶん赤旗」だね。ホームページへジャンプしてくださいね。ご購読いただければもっといいんですけど……。

2006年3月30日(木)
今日は私の誕生日

 1956年3月30日生まれの私は、今日が、50回目の誕生日。「半世紀やな」・・とは次男の弁。 大学を卒業し、4月から、議員になる前の私と同じ児童養護施設の保育士となる長男からは深夜、メールが入っていた。すでに、有給実習が始まり、宿直勤務の合間をぬってのメール。働く者の悩みが盛り込まれた、ちょっぴり大人の内容だった。

 夫から「50歳の感想は?」と聞かれ「う〜ん・・・」と次の言葉がでなかった。
 40代と50代は、やっぱり違いますねぇ。
 「もう50歳」と思うけど、年配の方からは
「まだ、50歳!まだまだ若いよ。これから、これから」と言われる。
 自然体で、その年齢にふさわしい生き方ができるといいなあと思う。

 ただ、母が52歳で亡くなったので、私は52歳を自分の人生の節目と考えている。52歳を過ぎることができるのか・・なんて思うこともよくある。ところが、5歳年上の姉がやはり、「母の亡くなった年齢を超えるまで怖かった。53歳の誕生日を迎えてほっとした」と言うのを聞いて「ああ、同じように考えるんだなあ」


 今日は、風が強く寒かったけれど、あちこちの桜がきれいに咲き始めた。(写真は日赤の近くの桜。幹の下の方から一生懸命咲いていたのでパチリ)

2006年3月28日(火)
「フェロシルト受け入れはお断り」と市長

 フェロシルトの問題は、代表質問で取り上げ、3月22日には、中部地区委員会と議員団で市長に対し「受け入れをしないよう」申し入れた。(申し入れ文書はこちら
 事前協議のために、石原産業から、資料提出を求めた期限が昨日だったため、今朝、担当課に電話を入れ、経過を聞いた。「市長が記者会見で態度を明らかにします」との返事であった。

 記者会見資料が議員に配られたが、市長は、明確に受け入れを拒否している。搬入を断る理由を3点。
 1、県外廃棄物の搬入は要綱により認めない。
 2、フェロシルトは、性状が明らかでなく、処理施設や周辺地域の生活環境に及ぼす影響の有無が明確でない。そのため、市民の安全・安心の確保がむずかしい。
 3、フェロシルトの発生源は明確であり、まずは当事者が当事者の責任と負担で適正処理に必要な対策を検討し、実施するのが先決。他県で埋め立て処分を行おうとすることは安易過ぎる。
 (詳しい記者会見資料はこちら

 この、明快な判断には拍手を送りたい。
 以前日記にも書いたが、大分市は、合併により引き継いだ野津原舟平の安定型最終処分場の指導に四苦八苦している。地元住民の方々が自治会をあげて、10数年来、対策協議会をつくり、厳しい監視を続けて来たが、産廃場の状況は深刻だ。
 この経験に学んだ判断であろう。三重県が、フェロシルト問題を起こした当事者自治体として、他県に廃棄物を持ち込ませるのではなく、三重県として責任をもって業者と一緒に適正処理に努めるべきだろう。

 昨日で議会が終わり、一息ついたら、庭の柿の木の芽と、名前がわからないのだが、ほおって置いてもいつも咲く白い花が、春の訪れを告げていた(写真)・・・さあ、桜の花見はいつにしようかな?

2006年3月22日(水)
申し入れ。そして、常任委員会
 フェロシルトの件で、三重県四日市市議さんに連絡をとり、情報交換している。20日にいただいた、三重県の地方紙の切抜きで見過ごせないものがでてきた。「九州の2ヶ所で来月中に契約できるめどがたった」という記事と「六価クロムが特管基準を30倍超えるフェロシルトがあった」という記事。
 このままにしておいては、大分に有害廃棄物が持ち込まれてしまう!! 一般質問終了後、急きょ議員団会議で申し入れを決めて、副市長の日程がとれたのは、5時前10分。市政記者クラブに知らせたのは5時ぎりぎり。21日は春分の日で休みだったので滑り込みセーフだ。

 今日9時20分から、前県議の堤栄三さんも中部地区委員会代表で参加し、申し入れとなった。(トップページに申し入れ文書があります
 廃棄物でつくられたフェロシルトだから、化学物質の構成は不透明で不安定。受け入れることはできない。ぜひ、市役所に電話でも、メールでも、フアックス、手紙なんでもかまいません。声を届けてください。市民の世論でしか、ストップさせることはできません。

 さて、10時からは所属する厚生常任委員会の審議が始まった。3月議会は、自立支援法による障害者への負担増に加え、医療費助成制度に所得制限を導入し、入院給食費は自己負担とする議案や予算が出された。
 また、3年に1回の介護保険料の見直し。平均18%もの引き上げ予定。4月以降あちこちから悲鳴が上がること間違いなし。いち早く知った市民からはいくつかの陳情や請願がだされた。その審議の様子を知っていただきたい。

 一つは「介護保険の保険料・利用料の減免制度創設を求める意見書提出方について」の請願だが、市執行部は全国市長会を通じて減免制度の創設は要望していると説明をするのに、委員会では不採択。また、「介護保険料の引き上げをしない、減免制度の緩和等を求める陳情」は、8団体と2582名の署名がそえられていたのに問答無用の不採択。つまり、陳情採択を主張した日本共産党の私以外は、なにも理由も述べず不採択にした。

 「意見をきちんと言って態度を表明してほしい」と言ったし、委員長も「ご意見は」と聞いたがだれも一言もしゃべらず。あったまにきました!!
 また、大分腎臓病協議会からは「大分市独自の心身障害者医療費助成制度を求める請願」が「おおいた市政クラブ」(民主党系)の議員の紹介で出された。今回の障害者医療費助成制度の改悪と関連するため、私は「採択すべき」と主張したが紹介議員の所属会派の委員は最初から「継続審査にしちょくれ」と、のたまった。いったいどういうこと???(結果は継続審査)
2006年3月15日(水)
いよいよ代表質問

 10時からの代表質問には35名ほどの方が傍聴にこられた。ありがとうございました。記者席にも、多くの記者の姿があった。「フェロシルト」の問題を私が取り上げるため、傍聴となったと思う。

 聞きなれない「フェロシルト」とは、大阪に本社を持つ化学メーカー石原産業が、03年に三重県のリサイクル商品の認定を受けて土壌補強材・土壌埋め戻し材として三重・岐阜・愛知・京都で販売。三重県のお墨付きなので安心していたらしいが、これがなんと、酸化チタンの製造工程から排出される汚泥が原料。05年に基準値を超える六価クロム、フッ素、放射性物質が含まれていることがわかり、撤去。東海地方では、大問題になったもの。

 神戸や京都の管理型産廃場の持ち込み計画が浮上したけれど、地元住民の反対にあって、頓挫。そして、大分・松岡の産廃場に持込みたいと、大分市に打診しているのだ。市は、法的に持ち込ませないということはむずかしいけれど、できれば持ち込んでほしくないというのが実感のようだ。

 夜、「フェロシルト」を大量に敷地内に保管している石原産業四日市工場のある、四日市の、ある全国紙の記者から取材を受けた。三重県議会では、九州に持ち込み先が決まった?きまりそうだ?と報告があったらしいとのこと。

 そんなばかな!三重県内で処分できないものをどうして大分市が引き受けなきゃならないの? 国の基準では管理型の産廃場であればいいということだが、国の基準ほどあてにならないものはない。野津原舟平の安定型処分場で私たちはこりているはず。あちらは大分川の水源地だが、こちらは大野川水系。心配は尽きない。

 4時前に韓国のお客様、20人が来分。韓日市民スクゥエアで、私をキャッチしたというがよくわからない。半年前に連絡があり、そして今日になった。

 近いうちに製鉄所が出来るため、環境に対する影響はどうなのか、調査に来たとのこと。「ばいじん公害をなくす会」の方々とも交流をしていただいた。工場が出来る前に環境を考え、調査にあちこち行くということは、すごいなと思った。
 日本で大がかりな工場が進出する場合、その企業や自治体の説明会ではデメリットについてはあまり語られない。どうしても経済効果だとか、メリットの面が強調されて、住民がその気になっていると、後からとんでもない公害が発生することがわかったりする。残念ながらこうしたことを繰り返してきた。
 韓国の人たちが、建設の前に、はるばる日本まで大調査団を組織して研究する姿は、私たち日本人も見習いたいものだと思った。

 「現在の環境はどうなのか、空気、生態、子どもの健康など、工場が出来る前の環境のデーターをしっかり持っていてください」という元高校の理科の先生の話が、調査団一行の共感を得たようだった。

2006年3月12日(日)
今日は三つの会合へ

 10時から堤栄三さんの地元(私の地元でもある)舞鶴校区の、後援会の総会。25人集まり、せまい部屋がいっぱいになりうれしい悲鳴。堤さんも元気いっぱいあいさつ。

 途中から私はぬけて、滝尾支部の総会へ。地域の要求運動の話。
 国保税の値上げの話、学校給食の巨大センター化の話……と話題はつきない。
 支部長さんや機関紙・財政担当者も決まり、県議選にむけての体制の基本ができました。

 午後は、「どうなるどうする私たちの暮らし 障害者自立支援法を考える大分県集会」に参加。会場いっぱいの参加者。400人ぐらいいたのだろうか。
 自立支援法に対する怒りいっぱいの集会。
 「お金を取ることだけ決まっている法律」
 「わからない、分かりにくい法律、そして説明がない」
 「国が支える必要のある人を守ることをやめたなと思った」
 私は、うんうんとうなづきながらメモをとっていった。

 怒りながらも、当事者の方々や法人を運営したり働く方々は冷静にこれからどうすればいいのかしっかり考えておられる。自治体関係者と力をあわせること。そして、あきらめずにずっとずっと法律のおかしいこと言い続けること。・・「一番弱い人を真ん中におくくせをつけてほしい」といった言葉、私たち政治家は決して忘れてはいけないと思う。

 どこの党の政治家でも同じです。今日の国会議員の参加者は社民党重野安正さん・横光克彦さんご本人の参加(ずっといてほしかったですね。お忙しいのでしょうが。)そして、後藤ひろこ・佐藤錬・足立信也3人の方は秘書の方が参加。お互いしっかり胸にきざみましょうね。

2006年3月11日(土)
もうすぐ代表質問

 3月15日10時から代表質問に立ちます。
 ……というわけでこの10日間ほど、原稿の準備に追われていました。

 自宅の居間は議会が始まると夜中から朝までは、私の書斎と化します。(写真)
 資料を広げ、数字を確認し、原稿に詰まる、と寝っころがり考え込み、茶わん洗いや、洗濯で気分転換して、またパソコンの前に座り……と、原稿をつくりあげるまでに産みの苦しみです。今回は代表質問なのでなおさらです。

 そういうわけで、日記からも遠ざかっていました。やっと朝4時過ぎに完成。日記を書いて、週1回だけ引き受けている赤旗新聞の配達に出かけます。

 さて、市の予算の分析をしていると、国の政治の悪影響が手に取るようにわかります。
 定率減税の2分の1の縮減で17万8千人の方が影響を受け、その額は9億円。配偶者の非課税措置や老齢者控除の廃止たばこ税の増税分なども合わせればその額、実に23億円を超えます。

 こんなに国への負担が増えるんだから、地方自治体は、せめてこれ以上の負担は負わせないようにするのが、当たり前と思いませんか?

 ところが、障害者や一人親世帯の医療費助成制度に所得制限を導入し、入院時の食事代の補助を廃止する案。(これは県の制度に合わせたのだと言いますが)

 加えて国保税(酷保・・って変換ででますけど、こっちの方が当たっているかも)の値上げ予定で13万9千人が12億円あまりの負担増。さらに介護保険料の値上げなどなど……。
 もろもろあわせて総額48億円を超える負担増の予算は、あんまりです!

2006年2月27日(月)
本物の食事

 大学生の次男が昨日帰省した。「何が食べたい?」と聞くと「かき揚げ!」我が家のかき揚げは野菜。今夜のメニューは、野菜のかき揚げ、ほうれん草のごまあえ、野菜たっぷりの豚汁・・と野菜づくし。2人の子どもたちは、帰省すると「野菜が食いてぇ!!」と言う。野菜を求める体になっているらしい。

 2人とも、たんぽぽ保育園という共同保育所育ち。ここは、テレビは置いていない。土と水と太陽でたっぷり外遊びを楽しみ、食事は、素材のおいしさを味わえるように、薄味。調味料は安全なものととことん安全な給食にこだわった保育園。おやつは、市販のお菓子を出さない。サンドイッチやおにぎり、おまんじゅうなどだった。おかげで虫歯がなかった。行政の補助がない、認可されていない保育園なので、保育士さんの給料は安いのに、保育料は高かった。でも、お金には換えがたいそれ以上のものを子どもたちにもらっている。

 今も、基本を曲げずに保育をしている。子どもが80人いなければ、赤字が続くというのに、現在50名ちょっと。保育士さんのボーナスはついに出なかったと聞いた。こんな良心的に運営している保育園が無認可で行政の十分な支援が受けられないのは・・・納得できない。

 ところで、公立・認可・無認可(行政用語は認可外ですが・・・)などで働く保育士さんの話を聞くと、子どもたちの食生活が大きく変化しているようだ。朝ごはんを食べて来ない子ども、朝からカップラーメンの子ども、朝ご飯は「おかし」という子ども。

 「食育」と教育現場でさけばれているが、就学前の子どもたちの食生活も心配。保育園でも、学校でも、まともな食事は給食だけという子どもたちも多いに違いない。それは、「親が悪い」と言うかもしれないし、たしかに親の責任が大きいだろう。でも、子どもには何の責任もない。

 毎日の食事で三食の内、一食だけでも、素材のおいしさを生かした本物の食事を子どもに保障することは、大人の責任だと思う。身分を保障された職員が心を込めて給食をつくることが、保育所でも、学校給食でも重視されなければならない。「給食なんて誰でもつくれる」「自校方式の給食は効率が悪いので中学校はすべてセンター方式の給食にし、民間委託し、6000食から7000食を1ヶ所でつくる」という大分市の方針には、食生活を軽視する行政のうすっぺらさが見えてくる。

2006年2月24日(金)
DV被害者支援研修会

 今朝は、夫の影響で6時前目覚め、フィギュアスケートの荒川静香選手と村主章枝選手の演技をライブで観てしまった。もういろいろは書きませんが、荒川選手、金メダルおめでとう!!

 今日は、週1回のお休みの日だったが、午後は、以前聞きのがし、どうしても一度はお話をお聞きしたかった講演に出かけた。「県の男女共同参画課」の主催で開催された、精神科医の竹下小夜子さん(さよウィメンズ・メンタルクリニック院長)の講演である。
 沖縄のあのイントネーションで、DV被害者の心模様、接するときの基本、支援者としての心構えなど、貴重な基礎知識を叩き込まれたように思う。休みを半日返上して出かけて本当によかった。

 参加者には行政関係者が圧倒的に多かったようだが、行政機関にとっては耳の痛いこともしっかり語っていた。行政機関で生かしてほしいと思う。ほかにもNPO法人の関係者、弁護士、女性団体、民生委員さんなど多彩な参加者あった。

 話はちょっと違うけれど、大分市の男女共同参画推進室が、文化国際課の中におかれているのをご存知ですか?ヘンでしょう?市民の方から「何で文化国際課なんですか?」と私も何度か聞かれます。「おかしいと思うでしょう」と私も市民の方の思いに共感します。そして、以下のことを説明します。

 福祉保健部にある人権・同和対策課もヘンです。同和問題は人権問題の一つなのですから、取り立てて特別扱いはもうする必要はないはずです。人権対策課にして、総務部か、市民部に置いて、そこに男女共同推進室を置くことが一番自然だと思うのです。前回機構改革のとき提案しましたが、聞く耳持たず。この4月にまた、機構改革があるらしいのですが、さてどうでしょう?

2006年2月15日(水)
質問主意書

 私たち共産党市議団は、ほとんど毎年中央省庁にレクチャーにいっている。市政の問題を扱っているときに、どうしてもぶつかる国の制度の壁がある。どのように解決したらいいのか、「教えていただく」のだが、教えていただきながら、それが要望になったりもする。

 昨年の台風災害でひどい被害を受けた地域に災害対策用の簡易排水ポンプを設置することになった。これも数年前、国土交通省に水害対策のことでレクチャーを受けたとき、簡易排水ポンプの存在を教えていただき、市に導入するよう求めたていた。
 市はかたくなにそれを拒んだが、そのときの言い分は「ポンプを動かすために専門家がいる。そんな人は新たに増やせません」
 ──「それこそあなた達がよくやるように、民間業者に委託すればいいじゃないですか!」とやり取りした経緯がある。もちろん、今回の設置でポンプを動かすのは業者委託。


 話はちょっとそれてしまったが、昨年10月31日中央省庁に行った事は日記にも書いたが、実は後日談がある。
 DV被害者の自立支援の関係でいくつかレクチャーを受けたがあんまり結果はかんばしくなかった。DV被害者の自立支援の妨げになるような他の法律の運用が行われているが、明確に改善できるという返事がいただけなかったのだ。

 その時、同席した赤嶺政賢衆議院議員の秘書の方から、「質問主意書を出しましょう」と、うれしい言葉をいただいた。国会での質問と同じ重さを持ち、提出してから1週間で答弁がいただけるもの。初体験だったが、児童扶養手当・児童手当・生活保護・保育所保育料のことなど、5点にわたる質問を秘書の方と何度もやり取りしながら、共同作業でつくりあげていただいた。DV被害者の救済にかかわる弁護士さんのご意見や大分市のそれぞれの担当職員の方からもいろいろ教えていただいた。

 答弁は、ほぼこちらの望む内容のものだった。国会議員を今まで以上に身近に感じる経験をさせていただいた。

(質問主意書と答弁書はここから)

 さて、トップページに費用弁償のことで特集を組みました。そのことで、私の名前で「掲示板」に初めてスレを起こしました。ご意見お聞かせください。ハンドルネームが使えますので、どうぞ!!

2006年2月11日(土)
津留小学校復活開校50周年記念式典

 今日は、地元の津留小学校の復活開校50周年記念式典があった。わが子達が卒業した学校でもあり、地元議員として招かれた。とても素敵な式典だった。1部〜3部まであり、1部のちょっとお堅い式典は、わずか30分でおしまい。1部の式典の来賓のあいさつも、校長あいさつもほんとに、短くて聞きやすくて最高! 1部の最後に、6年生が作詞し、音楽の先生が曲をつけた「津留小物語」・・すてきなメロディと歌詞です。

1けやき通り ひかりかがやき
 裏川土手の さくら並木ゆれる
 水とみどりあふれる ぼくたちの町
 笑顔いっぱい 津留の町

2校庭に立つ いちょうの木
 赤レンガのへいは ずっと見ていた
 たくさんの命がうばわれた戦争を
 ぼくらは 平和をまもるから

3ワンパク広場 千羽づる
 やさしく ほほえむ ムッチャンの像
 わたしたちはわすれない
 ムッチャンの悲しみを
 夢をうばわれた くやしさを

 津留小をつくろう 仲間とともに
 あたらしい歴史を 未来を
 希望にみちた みんなの
 かがやくいのち
 (4番省略)

 2部の全校大合唱「ぞうれっしゃがやってきた」が圧巻!
 595人の全児童と父母・教師の大合唱団は
100人を数え、体育館があたたかいうたごえに包まれた。感動で思わず涙がでそうに・・。2部が終わったあと、民生委員さん達も「よかったわぁ!感動した」と言われているのを聞いて「みんな思いは同じなんだなあ」と思った。


 夕方、ばったり会ったあるお母さんが「小手川さん、子ども達のうたごえを聴いて心があらわれる思いがした。あのうたごえ聴いていると自分の子どもだけでなく全部の子ども達の平和をまもっていかんといけんなあっち思った・・」
 私も同感です!!

2006年2月8日(水)
学校選択制って?

 今日は11時から「学校選択制を考える市民有志」の方々の検討委員会への申し入れに同席した。昨年、11月だったか「学校選択制」導入検討のための検討委員会がつくられたが議論は非公開のまま進められ、市民は新聞報道でしか内容がわからなかった。マスコミでさえ、検討委員会の中に入って傍聴できるわけではなく、検討委員会が終了した後、記者会見で得た情報をもとに記事を書くしかなかったらしい。12月議会で、福間議員が、文教常任委員会で公開を強く求め、また、市政記者クラブからも、マスコミに公開するよう正式な申し入れがあり、12月の検討委員会からやっと公開になった。

 昨年12月末、私も会員の一人である「新日本婦人の会」の会議の中で、「いったい学校選択制って何?・どうなるの?」という意見がでて、「じゃあ、教育委員会に説明してもらいましょうか」ということになった。会員さんだけでなく、会員外の方にも広がり1月、10数人の方が集まった。説明を聞く中で、様々な鋭い質問がとびかった。

 ・・・いつも思うことだが、議員として市政の問題点等を調査し、それを市民のみなさんに説明をすることも多いが、逆に市民のみなさんの鋭い指摘に学ばされることもとても多い。

 説明会だけでなく、1月の検討委員会を傍聴した方などが、「このまま、検討委員会で方針がだされるのは、おかしい。」「自治委員協議会やPTAの役員などの肩書きを持つ方が入っては入るけれどあくまでも個人の資格での参加。団体としての責任はない。」「ずっと続けてきた、『地域の子どもは地域の学校へ』という原則をくずす制度。」等々という声をあげた。
 そして、これはタイヘン!と今日の「緊急の申し入れ」になったのだ。私は、市民のみなさんと、市教育委員会との橋渡しをさせていただいた。

 義務教育の大改革なのに、静かにそっとあまり騒がれないように変えようとしていることはおかしいし、全国的にもまだ学校選択制をとっている自治体は少ない。急ぐ必要はないし、義務教育は校区の学校に通うというシステムは、それ自体が地域をつくっているもの。市教委は「検討委員会で学校選択制は認められた。市民のみなさんのご意見をいただいて決定した」と、そんなシナリオを準備しているのだろうが、子どものことを考えるならば、こんな制度の導入に労力を使うより、取り組むべきことはもっとあるはず。詳しい資料などはこちらへ。

2006年2月4日(土)
市政懇談会開催される

 立春というのに、寒い寒い一日。朝は、大分市ではめずらしくぼたん雪が舞った。
 今日は10時から市政懇談会。雪のため参加者が少ないのではないか・・・と心配したが、いつもと同じく30人程の方が寒い中参加していただいた。
 ありがとうございました。
 
 いつものことであるが、地域や団体の貴重なご意見、とてもありがたい。
 今回の12月議会の報告はひろつぐさん。議会のことと同時に、日出生台で行われている米軍の実弾砲撃訓練について、詳しい報告を聞いた。反対派の代表者の1人として演習をしている基地内に入り米軍と直接話をしたり、現地を視察している。彼は、2年前、社民党の福島瑞穂党首が来県したときに説明しているところが地元紙に載ったり、今回も度々テレビや新聞に登場している。

 「平和を守るために行動する」──彼のポリシーに基づいての活動はなかなか真似できるものではない。

2006年2月2日(木)
4,000アクセス!

 12月の始めに「もうすぐアクセスが3千になる・・」と書いたが、1月の終わり、気がついたら4千を超えていた。2ヶ月足らずで新たに1千のアクセスがあったことになる。読んでいただいているみなさん、ありがとうございます。

 今日は、障害者自立支援法に先立ち障害者団体の方々と障害福祉課との懇談会に同席した。自立支援法は、その名前とは裏腹に、障害者の自立には役立たないことを何度か日記に書いたし、法律成立に反対する方々の運動などもお伝えしてきた。
 しかし、総選挙の自民党の大勝で、一度廃案になった法律がそのまま提出され、あっという間に可決・成立。この4月1日から施行される。

 この法律は、とにかくややこしいことこの上ない。
 懇談会では、市が障害者手帳を持っている方すべてに知らせること、個別の相談を受け付けるシステム、福祉サービス利用者の自己負担の市独自の減免制度を求める意見などが出された。
 当事者や家族のみなさんの不安や悩みは大きい。

2006年1月30日(月)
障害者自立支援法で自立できる?

 大分市に住んでいる吉田春美さん(男性)は、脳性まひ頚椎症のため、人工呼吸器を装着して24時間フルケアで在宅生活をおくっている。
 かなり古くからの知り合いで私より私の夫との関係の方が深い。夫と一緒に共同作業所をつくり、大分市に初めての身体障害者の通所授産施設をつくる運動をした仲間でもあった。

 障害が進み入院生活が長かったが、3年前から在宅で生活をしている。現在フルケアーだが、自立支援法のもとでどうなるのか・・・。
 かれのホームーページ「はるみ之つぶやき」が楽しい。楽しくて、たくましくて、ちょっととぼけていて、社会に鋭い批判の目を向けている重度障害者のつぶやき。のぞいてみませんか? アドレスはこちらです。  http://purple.ap.teacup.com/harumi/72.html

2006年1月26日(木)
おもちつきとばいじん交渉

 10時から「こどもルーム」のおもちつき。
 市役所すぐそばの府内こどもルームで開かれるおもちつきは、今年で6回目。大塚さんという方のボランティアで始まったと説明を受けたが、今年も大盛況。
 もちつきを手伝う児童家庭課の職員は、在籍が長くなればなるほど餅つきが上手になっている。大塚さんは、「こどものこと、教育のことよろしくたのみますよ」と参加した市議すべてに声をかけていた。
 子どものことを思うあつい心の持ち主だ。子どもたちの笑顔は、なにものにもかえがたい。

 2時からは「ばいじん公害をなくす会」の方々が集めた3702名分の署名を携えての対市交渉が行われた。
 「降下ばいじん」の原因者が新日鉄であることを認めてさらなる対策をとることや、被害状況を誠意をもって調査することなど、6項目にわたり約1時間、実情を訴え、市の積極的な対応を求めた。
 関係地域に住んでいる大久保議員と私が同席をする。当初大久保議員が市長に署名の受け取りを求めたが、なぜか日程がとれないと拒み、副市長が市長の代わりに対応した。副市長は、「署名は重く受け止め、ばいじんをなくすために努力をしていきたい」と言ったが、このことばを住民は重く受け止め、市の対応を注目するだろう。

2006年1月21日(土)
見ごたえのあった2時間45分

 NHKの番組「日本の、これから」。視聴者からも、意見を募集しながら番組は進められる。後半になるに従って、メールがどんどん増えて、寄せられた意見は8千件を超えたという。

 私も、「見る番組が他にないから・・」と、なんとなくNHKをつけて、パソコンをいじくっていたが、ついつい見入ってしまった。
 阪神淡路大震災の被害者の方が、「神戸はうわべはきれいになったが、一歩入ると復興はまだまだ。なのに、関西空港に続き、神戸空港をつくってしまい、こんな無駄遣いしておいて消費税上げようなんて・・」
 「自分の周りの自営業者が次々に命を絶つ。消費税3%の頃は千人。5%になったら、三千人・・・10%になった時のことを考えたことがあるのか・・」30代の自営業の方が声を詰まらせながら言葉をしぼりだしていた。

 「本当に増税しかないのか」のテーマというか、問いかけに、「社会保障の3倍もの予算が公共事業に使われる国なんて、先進国にはない。そのツケを社会保障の削減に使うな」と開業医の方。
 「勝ち組、負け組みの収入の格差が開きすぎ。格差をなくす仕組みを政治が行うことが、増税より先にすべきこと」・・などなど、普段メディアで語られないようなことが次々に声になる。、番組に参加したフツウの人々のフツウの言葉で庶民の生活が語られたからこそ、メールで意見を寄せる人が爆発的に増えたのではないだろうか?

 こんな番組こそNHKはいつもつくってほしい。それでこそ受信料を払っている価値がある。

2006年1月19日(木)
ぜいたくな夕食

 今日は、私の大好きな喫茶店に夫と昼ごはんを食べに。
 夫は実に6年ぶり・・らしい。
 店主のYさんとは、喫茶店を始める前から、15年以上のおつきあいになるだろうか?心がぎすぎすしたり、ささくれだってくると、無性に足を向けたくなる場所。時間がゆったりと流れ、心が癒され、「うん、よし!またがんばろう!」って思える場所だ。

 帰りに、今日はYさんがつくっているベーコンとハムをいただいた。夫が「食いてぇ!」と言っていたポテトサラダを作り、このハムを入れたが、なんとも言えずおいしい。ベーコンもハムも薄切りでもいただく。ぜいたくこの上ない。

 年末、「しんぶん赤旗」のご購読のおすすめに行った時に、新聞も読んでいただくことになり、お土産に家庭菜園のりっぱなレタスをいただいた。みずみずしくて野菜の甘味のあるそのレタスが今夜で最後だった。ベーコン・ハムと一緒にいただく。この上なくぜいたくな夕食でした。ごちそうさま。

2006年1月18日(水)
豊後高田市議 大石忠昭さんのこと

 1月12日、市議選の時に後援会ニュースを配ったことが公職選挙法違反にあたるとして起訴され、裁判を闘ってきた大石さんの判決があった。罰金15万円、3年間の公民権停止の有罪判決(詳しくは大石忠昭さんのホームページで)だった。
 正義はいったいどこにいったのか。腹の底から怒りがわいてくる。許せない有罪判決だった。12日、パソコンの前に座ったが文字で気持ちをあらわす自信がなく、ずっと日記を書けなかった。

 お金を配っても、そんな情報が寄せられても、調べようともしなかった、警察。しかし、まっとうに、誰よりも熱心に市議会議員の仕事をしていた一人の人間を陥れるために、権力が尾行し、事件として立件する。その意図を見抜くこともせず、マニュアルに従い有罪判決を出す。これが法の番人といえるのだろうか。

 大石さんと弁護団は、高裁に即日控訴した。無罪判決がでなければ、選挙はおかしくなる。この裁判は、共産党だけの問題ではない。すべての政党・政治家にかかわる裁判だと思う。そもそも、戸別訪問を禁止している日本の公選法そのものが問われなければならない。公選法は民主主義の味方なのか敵なのかと。

 大石さんは不当判決後の裁判所前のあいさつで言った。「私は公職選挙法を変えるために選ばれた。公選法をかえる闘いをします。」・・と。

2006年1月9日(月)
津留後援会「新春のつどい」

 今日は11時から地元津留後援会の「新春のつどい」。
 ここ数日の冷え込みのため、熱発などで急に参加できなくなった方もいて、参加者は30名足らずとちょっと少なかったが、楽しく2時間あまりを過ごした。
 おいしいぜんざいをいただき、新米のおにぎり、おいしいお漬物の差し入れ。
 来年4月の県議選をたたかう、前県議のつつみ栄三さんは、実はぜんざいはにがてである・・が、食べないわけにはいきません。「食べんと勝てんよ!」と励まされて(?)おいしくいただいていました(笑い)。

 最後は、ビンゴゲームでわいわい。ビンゴになった方から景品を選び、自己紹介をかねてひとことごあいさつ。「消費税をなくす会」の世話人をしているOさんからは成人の日に「シール投票」をした経験が語られる。
 同じく成人の日に「核兵器廃絶の署名活動」に参加したMさんからは、新成人がまわりに誘いかけて署名してくれた話。
 ああ、みんないろんなところでこつこつ活動しているんだなあと改めて頭の下がる思い。

 Tさんは「自分は76歳になったときにがんばることを止めた。が、選挙は勝つか、負けるか。頑張るしかない」とつつみ栄三さんに励ましの言葉。
 Sさんは「私はいろいろしゃべれないので」と俳句を2首詠んでくれた。

「初日の出昇る日輪 赤の色」
「みな仲間集いてことほぐ 初春を」

2006年1月7日(土)
戌年にうさぎの話ですが・・・

 私の住んでいる地域に、91歳のYさんという、とてもすてきなおじいちゃんがいる。このYさん、自宅でうさぎを飼っている。南津留では有名な場所。日曜日ともなれば、うさぎのえさ、キャベツや白菜の切れ端を入れた袋をもったお父さんに手をひかれた子どもが寒い中でも、散歩がてらやってくる。えさを届けに来た方々が、うさぎたちの前で世間話をしていることもある。うさぎと人のふれあいだけでなく、人と人との出会いの場所にもなっている。

 昨年の夏、ローカルのTVで放映されてから、観にくる方も多くなり、えさも、多くの方が持ってきてくださるので困らないらしい。今日は、写真をとっていると、2人の女の子が「明けましておめでとうございまぁ〜す!!」と元気いっぱいやってきた。なれた手つきで容器からキャベツを取り出し、うさぎにやりはじめた。ほほえましい風景だ。

2006年1月1日(日)
新年おめでとうございます

 2006年、新しい年が始まりました。どんなお正月を迎えられたでしょうか?
 少しでも暮らしやすい街にするために、私もあきらめず、ねばりづよくがんばります。今年もどうぞよろしくお願いします。ホームページの日記の更新も楽しく続けていきたいと思います。

 新年早々2度も涙を流してしまいました。・・・もちろん感動の涙です。
 1回目は、今日付けの日刊「しんぶん赤旗」の「ドキュメント人間のうた」のハンセン病国家賠償訴訟全国原告団協議会会長の谺(こだま)雄二さんと28歳の諫早市議会議員中野太陽さんの交流の記事に思わずうるうる。

 2回目は、帰省した長男の提案で家族4人で映画「ALWAYS3丁目の夕日」を観て涙を流しました。映画を見ている人たちが泣いたり笑ったりその時間だけ一つになれたような気がしました。ちなみに息子たちは「父さんと母さんの笑い声がチョー気になった」・・・とのこと。
 そうです、すっかりはまって観てました。感動の涙なら何度でも流したいですね。ずっと感動できる、涙を流せる人間でありたいと思います。