No.2 (2005.8.20)
総選挙の投票日、間近。
日本共産党前進のため
全力をあげています。
小泉首相は、郵政民営化法案が参議院で否決されたことをもって、道理のない衆議院解散を強行しました。この間題は、郵政民営化だけでなく、国民のくらしでも、平和・外交でも、ゆきづまった、自民党政治の深刻な矛盾の表れであります。
これを、真に国民の立場で打開できるのは、日本共産党しかありません。民主党も基本路線では、自民党と同じ財界・アメリカのいいなりの政治だからです。
国政での二連敗及び県議選の敗北のくやしさをバネに反転攻勢の第一歩にと、日夜奮闘しています。大久保八太議員は、毎日十回以上の街頭宣伝、支持拡大の訴え、集会にも参加して一日フル活動です。
選挙勝利の確かな保障はなんといっても、覚の実力をつくることです。支持者のみなさんに赤旗新聞の御購読と読まれている方は、赤旗新聞の拡大をお願いします。
市政懇談会開催
業者や中小業者に喜ばれている。県内ではすでに中津市や臼杵市で実施している。大分市でもぜひ実現のために力をかしてほしい。市との懇談会の場をもってほしい」という要望が寄せられました。
また、交通関係の労働者は、大分バスの二路線廃止やふれあいタクシーの改善の問題などを取り上げ、「市民のための交通対策を市としてもつよう努力してほしい」と訴えました。
生活と健康守る会の代表は「市長などの退職金が高すぎる。新日鉄などの工業用地の固定資産税の評価は安すぎだ。市民と同じように課税すれば、年間約三十億円の財源確保ができることを共産党の訴えで知った。こうした問題はもっと広く宣伝して取り組むべきではないか」と発言しました。さらに、ゴミ収集の民営化、学校給食の民営化に不安の意見も出されました。
新日鉄のばいじん公害をなくす会の代表は「ばいじん公害の原因は新日鉄であると市が認定しないのか。鉄粉を長く吸いこんだら鉄沈着症になるということを聞いた。これは、塵肺患者と同じような状況である」という発言を行いました。
非常に活発な論議となり、市議団もとても勉強になりました。今後の 議会活動に大いに役立てていきたいと思います。 御協力ありがとうございました。
次の市政懇談会は九月議会が終ったら行いますので、みなさん、おさそいの上多数御参加下さい。
日本共産党大分市議団は去る七月二十四日アートプラザに於いて市政懇談会を開きました。十五団体二十三人が参加しました。
議会報告のあと、意見・討論に入りました。
業者団体の代表からは、「小規模工事については、全国的に民商が中心になって運動し、三百十八自治体が随契約で、その地域の業者に発注して自営
市発注の公共工事の談合問題で大分市に申し入れ
現在、大分市は、雨水排水ポンプ場(建築)建設工事、沈砂池機械設備工事、ポンプ機械設備工事、電気設備工事それぞれ特定建設工事共同企業体による一般競争入札を、八月十二日におこなうとしています。
ところがこの入札において、「市内のある企業が、ポンプ工事と電気工事の落札する企業を決めて動いている」という、談合の疑惑を告発する情報がわが党議員団に寄せられました。党議員団としても調査してきましたが、信憑性があるのではないかと思われます。
よって、以下の二点について大分市に申し入れを行いまいた。
@「談合疑惑」について調査をおこない、厳正な対応をすること。
A前項の対応が終了するまでは、入札を行わないこと。
市の衛藤総務部長は「談合情報については慎重に調査したい」 と答弁しました。
大分市では、元町付近の冠水を防ぐために、元町雨水排水ポンプ場の建設がすすめられています。この建設にあたって、十六年度までに土木工事を完了し、今年度から建築工事、機械設備工事、電気工事が予定され、すすめられています。このポンプ場の建設は、地域住民の安全を守るうえからも、わが党議員団は一日も早い完成を求めるものです。
先日、明治地区の方から相談をうけました。
「お金を貸したが返してくれないで困っている。なんとかならないものだろうか。法的なことも含めて詳しく聞きたい」という内容のものでした。
議員個人が金を返さない人に直接会って話をするよりも、法的解決をすべきだと判断し、弁護士を紹介しました。後日、本人から和解が成立して、解決したというお礼の電話がありました。
人間生活にかかわるすべての問題について、生活相談を受けています。困っていることがありましたら遠慮なく相談して下さい。
(医療問題、国保税、介護問題、環境問題など)
東部後援会バザーは盛況の内に幕を閉じました。ご協力くださったみなさん、お疲れさまです。ありがとうございました。
『あの日』はとても暑かった、と聞いた。『あの日』とは『一九四五年八月六日』。広島に原爆が投下された日のことである。
少し前に衝撃的なニュースが放送された。
「広島に原爆が投下された年月日を教えて下さい」と質問したところ、正確に答えられた人は、全国で三十八%、広島でも七十四%だったという
知っていて当たり前と思っていた私は、かなりのショックを受けた。
原爆が投下されてから六十年の時が刻まれた。『あの日』を知る当事者は次々と減っているという現実。その一方で、この国の歴史教育 (そう呼んで良いものか、はなはだ疑問)が『あの日』の事をきちんと教えているのかどうか、考えずにはいられない…。
質問に答えられたからといって『あの日』の全てを知っているわけではない。けれど知らない、心がないと直視してこなかった、そういう(世間)が『あの日』を風化させてしまう一番の原因であるように思われてならない。
そして私達は『あの日』が八月六日だけではないことを、決して忘れてはいけない。