


6月議会を終えて 7月20日(水)
6月市議会が終わった。6月市議会は、年4回開かれる議会の中でも影の薄い存在と感じる人も多いだろうが、私にとっては忘れられない議会となった。我が共産党の市議団は、この市議会に4つの議案を提案したのだ。
言うまでもないことであるが、市議会は市の立法機関である。市の各種条例は、すべて市議会で審議し、決定される。そして議会に対し条例案(議案)を提案する権利を持つのは、市長と市議会議員である。しかし、現在の大分市議会では、4人以上の議員を持つ会派でなければ、この議案提案権が許されていないのだ。今度の市議選で、4人の共産党の候補が全員当選した喜びを、私は改めてかみしめた。
選挙中、要望の多かった敬老年金は、私としても何とか復活させてほしい。議案提案権は、市民の声を市政に反映させる上でもっとも大きな武器である。しかし、この大切な「議案提案権」をほとんど行使したことのない会派が多いのは、本当に残念なことだ。共産党の市議団に限っては、寝食を忘れて、100%有効に活かしきろうとしているのに・・・。
さて、議案を提案するには予算の裏付けが必要である。共産党を知らない人からは
「共産党は何でも反対」
「理想論ばかり言って現実を無視している」
などと影口をたたかれることがある。冗談ではない。私の知る限り、共産党市議団が現実を無視した議案を提案したり、市長提案の議案に機械的に反対したことは、一度たりともない。それどころか、どんな小さな改善でも、市民に取って利益になることは、最大限汲み上げようとするのが共産党の姿勢である。
第一、何でも反対するだけの市議団であれば、他会派に先駆けて議案を提案する必要がどこにあろう。どうして、4人の議員全員が議会でフルに発言する必要があるだろう。議員たちの血のにじむような努力を知っている私は、こうした影口が悔しく、そして悲しくなる。
厳しい予算の中、新たに敬老年金を復活するためにほ、どこからお金を引き出すか・・・。行革が叫ばれる中、それを可能にするための財源を見つけることは容易ではない。市財政の根本を一つ一つチェックし直し、市長や特別職、教育長の異常に高い退職金や、議員の費用弁償の問題にたどり着く。(これらがいかに市民感情から離れた額であるかは、市議団のトップページを参照してください)
休日を返上し、一般質問の原稿作りに追われながらも、各方面を調査し、議論を重ね、可能な財源を見つけるたびに喜び、そうして条例案を作って行く。控室の空気は、少しづつ緊張に引き締まりビリビリしてくる・・・。
私はこの緊張の中にいて相変わらず何も手伝えず、ただ雑用をこなしているだけだ。我が子の受験勉強に、熱いコーヒーを差し入れるだけしか出来なかったり、我が子が友達とうまく行かずに悩んでいたとき、その悲しい想いを、ただ聞くこしか出来なかったときと同じように。
けれど、私はそれだけで胸がいっぱいになってくる。議員たちは苦悶しているのだ。スルメをかじりながらパソコンに向かったり、ああだこうだとイライラしながらチョコレートをほうばったり、長椅子に横たわったかと思うと、いびきをかいて寝ていたり・・・。
スーパーマンでない彼らは、市議会での颯爽とした態度とはうってかわり、こんなにも地味に、こんなにも人間くさく努力しているのだ。私は「公僕たる議員」という民主政治の原点を見つめ直す。「これが原点なのだ」と、改めて思い至る。彼らの純粋な想いが伝わってくるからだ。愛すべき私のドラエモン集団・・・
こうして努力して練り上げた議案なのに、そして、こんなにも市民の立場を貫いたものであったのに、結局議案は、我が議員団以外全員の否決で廃案になってしまった。それにしても、私は誇らしくてたまらない。
「費用弁償廃止が否決になって、共産党もホットしたんじゃない?」
と、イヤミを言う他会派議員もいたけれど、我が議員団は費用弁償の受け取りの辞退を発表した。議案の提案者としての筋を通したのだ。自らの痛みに耐えて。
我が議員団はすがすがしい顔をして、もう次の取り組むべき道に走りだしている。私は、ドラえもんになったつもりで「のび太君、えらいゾ!!」と、何度も心の中でくり返していた。生涯忘れられない6月議会の思い出である。
おなか記 第2回