2007年12月22日(土) |
AND I LOVE YOU |
9月の終わりにパートナーを亡くしたドリカムの吉田美和さんが、昨日始めてミュージックステーションで歌ったというニュースがネット上で報じられていた。紅白にも出演するという。
実は、先日ドリカムの「AND I LOVE YOU」のCDを友人からクリスマスプレゼントに・・・と頂いた。聴きたいと思っていたので、思いがけないプレゼントにあったかくなった。
吉田美和さんが、亡くなったパートナーへの思いを歌った歌は、私の思いと重なった。
「遅くなるよ」の電話は もう来ないけれど
長い旅にでも出たと 思っています・・・
・・・から始まる歌詞と彼女のすきとおるような歌声はその思いと重なり涙が止まらなかった。
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2007年12月20日(木) |
駅南に建設予定の複合文化交流施設案は・・ |
今日は議員団会議。
団ニュースの内容の検討が中心だったが、大分市が駅南に建設予定の複合文化交流施設の建設手法と施設の内容の説明を受けた。平成25年供用開始を目指すという。公共部分と民間が入る建物を「PFI的手法」でつくりたいという。
この事業、どうも大手ゼネコンしかできないのではないか・・と懸念している。
1000人規模のホールや児童センター、社会福祉センターなどの福祉部門とともに現在非常に手狭な市民図書館をここにつくり、広さを倍にするという。(コンパルの1階部分は分館として残す)
保育所を入れる(桜ヶ丘保育所)という案には、唖然とした。
この施設には民間の会社や商店なども入れていく方向をもっている。不特定多数の人が出入りする敷地内に、子どもの命をあずかる施設をつくるのはあまりにも無神経ではないかと思う。独立した子どものためだけの施設を別につくるべきではないか。
もうひとつは、大分市内には、中高校生向けの施設がないのに、この交流施設の計画に入っていないこと。この案、もう一練りしてほしい。
「平成25年供用開始予定だが、財政が一番厳しいときにつくるけど、大丈夫なの?」 「支払いは25年以降に始まりますから・・・」
なるほどね!市民には財政が大変だ!と煽っておきながら、そういうことなんですね。
午後は、山下かい君と街頭宣伝に出た。
津留支部の同志がビラまきに一緒に参加してくれた。手を振ってくれたりわざわざ外に出て聞いてくれたり・・あたたかい反応にかい君も大喜び。また年内にやりたいねと話して別れた。
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2007年12月17日(月) |
議会閉会日 |
議会閉会日。「後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める請願」は、本会議で結局社民クラブもおおいた市政クラブも不採択に賛成した。いつもの44対4だった。
午後は、全員協議会と議会政策研究会が開かれた。
政策研究会は、議会基本条例の研究に入ることが決められた。各会派から代表者を出し、政策研究に入る。私も、その一員。
全員協議会は、平成20年から25年までの行政改革推進プランの素案についての説明と質疑が行われた。
地元紙でも、報じられたが平成25年までに、市職員を360人純減する計画だ。今回のプランはとにかく市職員を減らす計画が中心。
気になるのは、市が平成25年までの財政状況しか明らかにしていないこと。大量退職期を越えるそれ以降の財政状況はどうなるのか、明示されていない。問うたけれど、明確な答えが返ってこない。
財政が厳しいと煽りたて、職員減と市民への負担増・福祉施策の削減を次々と打ち出していくのではないか?
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2007年12月16日(日) |
社民党のオカシナ態度 |
12日の日記に書いた、社民党のオカシナ態度についての理由がわかったので、その後を書いておきたいと思う。
3日前の話になるが、13日、9時半から意見書の審議のための議会運営委員会が開かれた。「後期高齢者医療制度見直し」の意見書について審議された報告を大久保団長から受けた。
なぜ、総務常任委員会で不採択と表明したか・・・。社民党は後期高齢者医療制度には基本的に賛成であり見直しを求めているだけとのこと。なるほど、だから「凍結・撤回」はだめなのか!?
12日の総務常任委員会で、おおいた市政クラブ委員の「少なくとも凍結には共感できるから採択」と主張した態度の方に共感する。
わが会派の場合、どの党の議員の紹介であれ、市民が提出してきた請願や陳情については採択することを基本にしている。もちろん、反動的なものなどは別だが。
さて、明日はいよいよ最終日。いつもは午前で終わりだが、明日は午後、新たな行革プラン案の説明のための全員協議会、その後議会政策協議会などがあり、終了は4時頃かな?
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2007年12月14日(金) |
委員会審議最終日 |
昨日、委員会審議の議案に佐賀関支所の建替えの議案が出た。支所機能だけでなく、公民館、老人憩い室、子どもルームなどを含んだ建物であるが、設計図が出てこない。
「見てないよ!」と委員たちからブーイングが出て、今朝、担当課が説明に来た。
私が真っ先に目をやるのは、子どもルーム。残念なことに、広場に面した場所に老人憩い室を持ってきている。子どもルームはその隣。
「もったいないなぁ、場所を変えられんの?」
「もうだめです。担当課(児童家庭課)も、これでいいといいましたから」
と、そっけないこと。庭もつくる予定になっていない。あきれてしまった。
せめて、子どもルームには、庭を確保し、砂場や簡単な遊具がおけるスペースをとってほしい。子どもに必要な、土と水と外気にふれて遊ぶスペースをなんとか確保してほしいとお願いした。
担当課長が「孫が保育園で遊ぶ姿を見ているので、議員さんのおっしゃることがわかります」と返事が返ってきたので少し期待をかけているが・・・。つくるなら出来るだけ子どもにとってよりよいものをと思う。
午前中、管内視察で葬祭場に。昼休みは「新テロ特措法反対」の宣伝行動に参加。14から15人はいたと思う。ビラの受け取りも良く、すぐになくなってしまった。(写真)
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2007年12月12日(水) |
えっ?なんで! |
今日は、10時から常任委員会審議。
年金者組合などから、2つの請願が総務常任委員会に付託された。「最低保障年金制度の創設を求める請願」と「後期高齢者医療制度の凍結、撤回を求める請願」である。
2つとも委員会では不採択だ。議論の中身は書かないが、オカシナ態度の社民クラブについて一言。
社民クラブは会派として「後期高齢者医療制度の見直しを求める意見書案」を議会運営委員会に提出している。この場合は、議運で審議されるだけだ。社民クラブとしては、当然総務常任委員会に付託された請願に賛成すると思うのが当然だ。
ところが、年金者組合の出した請願には、不採択を主張した。
討論の内容は、大筋でほぼ正確と思うが、
「75歳以上の高齢者を隔離すると国民から受け取られかねないような発想、国民不在の中の法改正だ。連合議会ですでに条例が議決されているが、会派としては議運の方に見直しという意見書を出しているので不採択だ」
ということなんですけど・・・
「そうか、なるほど」と思います?それとも「えっ?なんで、おかしいやん!」と思います?
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2007年12月12日(水) |
一般質問の傍聴ありがとうございました! |
昨日は、11時過ぎから一般質問。答弁の後、22分を残して昼休み休憩に入った。
大分市議会用語?で、「はらきり」という、いやなパターンだ。傍聴くださったみなさん、ありがとうございました。
ゆがんだ同和対策事業の一つ、住宅新築資金等貸付事業の4億円を超える未償還の問題は、今日の大分合同新聞が報じた。借りた人の33%、85人が未償還であること。今後は訪問徴収などを強めることなど・・・。
この問題は、大分市だけではなく県下では多くの市が抱えている問題。そして取り上げるのは共産党の議員しかいないという現状。
決算委員会で、かなり詳しい資料をドアをこじ開けるようにして提出させたことをベースに調査を重ね、昨日の質問となった。
全国的にもこれは、大きな問題で、昭和62年から貸付事業償還事務担当者会議が開かれていることを福山市に視察に行って知った。
大分市は、平成15・16年に参加したのみ。全国の経験に学ぶことさえしていない。貸付事業を行なった県は32。償還率で言えば大分県はワースト5の5位だ。
部落解放同盟の電話の設置は、旭町文化センターを設置したときから許可していたという。補助金交付の団体の住所の問題も、補助金交付規則で住所は問わないことになっているから問題ないし、部落解放同盟の役員が市の委託事業である生活相談員として、センターにいるから連絡を取りやすいのでいいんだという答弁にもあきれてしまった。
行政財産に運動団体の電話があることはどう考えてもおかしい。団体の住所で言えば「それでは、市の職員が何らかの団体の役員をしていて、その団体が補助金を受ける場合、市役所の住所を所在地にして書類を作成してもいいんですか?」と問うた。
おかしな慣例は正されなければいけない。
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2007年12月9日(日) |
一般質問始まりました!私の質問は・・・ |
今年最後の議会の一般質問が始まりました。12月議会が終われば、今期はあと1年。4回の議会を残すのみとなる。早いなあ!
私の質問は11日(火)の4番目。1人持ち時間は1時間だが、私の前の3人の議員さんはさて、どれくらい時間を使うのやら・・。11時半とご案内しているが、少し早くなるかも?
今回は、私の議会活動のメインである子育て支援策について。そして同和問題。特に同和問題は、住宅新築資金貸付事業のこげつきの問題。まともに回収していない状況が調べれば調べるほど浮かび上がってくる。
平成13年度末、国が同和対策事業を終結させた。
この年、私は大分市も同和対策事業を集結させるように、毎議会同和対策事業の終結を求めて質問を続けた。先輩議員の闘いを学ぶために、議会事務局に同和問題を取り上げた議事録をまとめてもらった。
その議事録の厚さは4〜5cmはあろうか。昭和51年頃から、平尾広喜元議員と執行部の激しいやりとりが本会議で続けられており、当時の状況を学んでからの問題提起だった。
個人施策の一般施策への移行、啓発事業の改善、公共事業の随意契約の改善などを取り上げた。是正させたものもあるし、いまだに続けているものもある。
今回も、住宅新築資金等貸付事業のことを取り上げるにあたり、再度この議事録を読み返し、準備をした。
運動団体への補助金の問題は、宇佐市で部落開放同盟の事務所の水光熱費を長年、市が肩代わりしていたと言う問題をわが党議員が決算委員会でとりあげ、報道された。
あらためて大分市を調べると、部落解放同盟の電話が引かれている場所と、運動団体の補助金申請者の住所が大分市の旭町文化センター(行政財産)になっていた。これって正常?ということで・・・。
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2007年12月4日(火) |
「議決経ぬまま着工」 |
今朝は9時に県土木事務所、その後保健所に行き10時半議会控室に入った。
11月30日の日記に書いた市営住宅土地購入議決前の工事着工の問題を昨日の開会日に取り上げた。その私の質疑の新聞のコピーを議会事務局にお願いしていた。合同、朝日、毎日、西日本の4紙が載せていた。
「議決経ぬまま着工 議会軽視と批判」「買収議決前に着工 市長陳謝、議案は可決」などのタイトルだ。
昨日、最初の質問で、市長に答弁を求めたのに立たなかった。
市長の表情は、「目をつぶってうつむき加減で困ったなあっていう感じ。あんな市長は初めて見た」とは、傍聴していた人の弁。
私の質問は こちら。
議長の許可を得て、現地の写真をパネルにして掲げ質問をした。調査を進めればすすめるほど、この問題本当に手続き上のうっかりミスなのかというギモンはぬぐえていない。何か他にあるのではないか?って勘ぐりすぎかな?
滑り込みで議会としてのチェック機能を果たすことができたことにほっとしている。さて、一般質問の準備に没頭しなければね!
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2007年12月1日(土) |
「石垣もち」づくり |
午前中は地元の行事。
子ども会の小学生は芋ほり。その間に地域のお年寄りから教わりながらボランティアの私たちは、一緒に「石垣もち」づくり。
今年は、6年生も初めて石垣もちづくりに一緒に挑戦した。
芋ほりを終えて公民館に来た小学生を見て、お年寄りから
「南津留にこんなにたくさんの子どもたちがおったんやなあ」
「子どもを見ちょるだけでもかわいいい、元気がでるなあ」と・・・。
小学生、その親世代、私たち50〜60代、そして70〜80代と四世代間交流の楽しい時間だった。去年より今年と石垣もちはおいしくなった!
その石垣もちを昼食にして、1時からの「新テロ特措法反対・くらし雇用を守る大分県緊急集会」に参加。
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2007年11月30日(金) |
市議会の先決議案 |
3日、月曜日から議会が始まる。3日の日、先決議案が1件あり、市内の過疎地竹中地区に市営住宅を建設するための土地を県土地開発公社から買い取る議案だ。
別に反対すべきものでもない議案だ。ところが、現地を見て驚いた。すでに基礎工事を始めているではないか!
2千万円以上、5千u以上の土地の購入は議会の議決を経なければならない。しかし、土地を取得するための議会議決を経る前に市営住宅を建て始めてるって・・・どういうこと!?
というわけで昨日から現地に足を運んだり資料を集めたり、わやわやしている。
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2007年11月26日(月) |
短大時代の友人たちとの集まり |
連休は、まったくのプライベートで23日から2泊3日で東京へ。短大時代の友人たちと2年に1度の集まりだ。
2年前は鹿児島だったが、今回は東京で11人が集合!
50歳を過ぎると介護に追われる友人もいて、それぞれがそれぞれの場所で今を懸命に生きながら、2年に1回の集まりを楽しみにしている。
東京にまったくの観光で行くのもめずらしい。「ディズニーランドの夜のパレードに行きたい!」というリクエストで久々にディズニーランドへ。
東京タワーにものぼったが、とにかく1時間〜2時間は並んでの入場。でも、並んでいる間のおしゃべりが一番楽しかったかな?
次回の2年後は松江と米子の友人が幹事に決定し、宍道湖と、かにを食べることを楽しみに集まることが決定した。この集まりのおかげで23日に一人で迎えることになったはずの25回目の結婚記念日は落ち込まず楽しく過ごすことができた。(写真は東京芝公園で年に2回咲くという10月桜と、浅草浅草寺で)
今日は一気に現実に引き戻された。
定例の早朝の交差点の街宣を終えて、生活相談や地域要求などの連絡調整。議会準備のための調査、新聞代の集金、常任委員会などあっという間に1日が過ぎた。
今日のサプライズは小選挙区大分1区の自民党候補に決定していた三浦由紀市議会議員の突然の立候補辞退表明だ。
実は9時前からマスコミが議員控え室のフロアーに集まり始め、昼ごろには10数人とテレビカメラがいくつも待機しており、騒然とした雰囲気に包まれていた。
公募で選ばれたが、辞退しなければならなくなった理由はわからないし、他の党のことなので言うこともない。しかし、なんとまあねぇ・・・とだけ言っておこう。
この、自民党のごたごたのおかげで、大分市議会の新しい試みである、議会が条例や政策を立案するその案を決定するための、議員から出された提案(私も1条例を提案)を審議するためのプレゼンを午前中に行う予定になっていたのだが、午後にまわされてしまい、予定が大幅に狂ってしまったのには参った!!
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2007年11月21日(水) |
昨日はみかん狩り、今日は日帰りで福山市へ・・。 |
昨日は、地元後援会のみかん狩りで、安岐町の白石農園へ。
参加者は平日のためか、ちょっと少なかったが、おいしいみかんに、いつもの豚汁で楽しいひと時を過ごした。
両子寺にまわり、紅葉を満喫した。
私にとって両子寺は、中学校の遠足の定番の場所だった(拝観料もなかった)が、大人になって行くとまた違った味わいがある。ここは、2年前、哲二が最後に参加したみかん狩りの時に、帰りに訪れた場所でもある。
「ご主人と来た場所やなあ」
「鍋の番をして豚汁をつくってくれたなあ」
と思い出話もはずんだ。
今日は日帰りで広島・福山市に「住宅新築資金等貸付事業の回収について」の視察。
事前に、議会政策調査室を通じ、九州の県庁所在市と中核市の調査をすませ、福山市を選んでいた。
この事業は、昭和40年代後半から始まり(大分市は51年から)平成8年に終了している同和対策事業だ。事業を実施したほとんどの自治体で貸したお金が回収できず焦げ付いており、対応に苦慮している姿が調査の中からも浮かび上がっている。いびつな同和対策事業の典型だ。
大分市では、252人に16億円余り貸し出しきたが、4億3千万円余りが焦げ付いている。決算審査で資料を要求して明らかになったが、例えば800万円を借りて1円も返していない人もいる。貸し出すときの審査がいかに、いいかげんだったかそして回収が甘いかがわかる。
しかし貸したお金は市民の血税だし、借りたものは返すのが当たり前だし、この原則を前提に大分市は、真剣な取り組みをしてきたのだろうか?福山市の職員の取り組みの説明を受けて、一層そう感じた。
往復の電車の中で1冊の本を読んだ。「政党が操る選挙報道」・・
ジャーナリストの鈴木哲夫さんが、05年の郵政民営化を争点に戦われた衆院選が自民党の「コミュニケーション戦略」のもとにマスコミが政党からあやつられたという自戒を込めて書いた本だが、興味深かった。
(写真はみかん狩りで豚汁の味付けをする小手川と、福山市の市花であるバラ)
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2007年11月16日(金) |
こんなことってあるんですねぇ?! |
数日前、いつも利用している「カメラのK」に、デジカメに撮りためた写真のDPEを頼んだ。焼き増し分もあったので100枚を超えた。その日の夜、確認すると、いくつかの場面の写真がない。念のため枚数を数えると明らかに足りない。代金は支払っているのに・・・!
翌日電話で事情を話し、確認すると「たまにそういうことがあります」と結構平然と答えが返ってきた。「枚数の確認は二重にしないんですか?」と思わず言ってしまったが・・。
もう一度残されていたデーターを注文どおり現像し、その中から受け取っていない分だけをもらうことになった。
今日、その写真の受け取りにいった。やっぱりお店のミスで現像されていなかった場面がいくつかあった。それを選んでもらってきたが、もう2度とこの店は利用しない!と決めた。残念ながら、心のこもったお詫びの言葉が、応対した従業員から出てこなかった。
「私どものミスでわざわざ足を運んでいただき申し訳ありません」・・・ぐらいは言ってほしかったなあ。もう何年も利用してきたお店だが、これからは行かない。これまでもミスがなかったのだろうか?と疑問を持ったし、デジカメのデーターはきちんと消去されているのだろうかといらないことまで考えてしまった。
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2007年11月15日(木) |
自分で行動すること |
今日は、青年の日かな?朝、知り合いの青年から「おばちゃんの意見聞きたいんだけど・・」と電話があった。
休みが取れず、長時間働くのが当たり前の今の仕事をやめることを決めて、2ヶ月の余裕をみて、責任者に退職を申し出たところ、やめることはできないと言われた。
「僕がまちがっているんですか?」
1ヶ月前に申し出ればいいはず。間違ってはいないことを伝え、労働基準監督署に一度電話してみることを勧めた。午後、早速電話があり監督署に電話をしたこと、民事上は2週間猶予があればいいこと。口頭で責任者に申し出た日が申し出の日でいいことなど、親切に教えてもらったとうれしそうに話してくれた。自分で行動して一つ一つ賢くなっていくことが大切。
市役所にいくとき、車を置く城址公園駐車場に大友宗燐胸像がある。その胸像を3人の青年がブラシで磨いていた。
市内には、公園緑地課が管理しているだけでも、49体の銅像が屋外にある。「彫刻を生かしたまちづくり事業」として、大分大学と連携し、おこなっている活動だ。
3人の学生さんが、実に楽しそうにブラシを動かしているので、思わず声をかけた。3人とも美術系を選択しており「じかにふれて、ああこんな風につくっているんだぁって知ることができて楽しい」と言う。清掃の後、ワックスをかけて汚れが付着しないようにするんだそうだ。同じ世代の子どもを持つ私としては、気になるのは仕事のこと。
尋ねると、笑いながら「いま丁度そのことを話していたんですよね」「自分のやりたい専門分野の仕事につくことはとてもむつかしい。こだわらなければあるんだろうけど・・」と答えが返ってきた。若者が生き生きと働ける仕事の確保。使い捨てにしない職場環境を当たり前にすること、政治の課題だ。
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2007年11月10日(土) |
「ばいじん公害」第3回定期総会 |
午前中は、地域要求の調査のため、滝尾へ。
午後、「ばいじん公害をなくす会大分」の第3回定期総会に参加。
この1年間も実に多くの取り組みをしている。一番大掛かりな取り組みは、アンケート調査だ。5300枚のアンケートを会員が手配りで関係地域にまき、8%の422人から回答があったという。新日鉄側の窓があけられないなどの環境被害ととともに、多かったのが、健康被害を訴える声、そして被害補償を求める声も・・・。
参院選や県議選の候補者への公開質問状や市や新日鉄への問い合わせ活動など取り組みは実に多彩だ。市民団体ならでの行動で興味深かったのは、新日鉄労組に協力・共同の申し入れをしたこと(自分たちの独自の判断で取り組んでいるので他団体の申し入れは受けないと面談は断られているが・・)
大企業が生活環境を守るための社会的責任を果たすこと。この当たりことをやらせるために必要な市民運動と議会での取り組み・・・二人三脚だ。
先日長男から、家に遊びに来たことのある大学時代の友人の結婚式と、仕事中にとった写真をDVDで送ってきた。仕事中のいきいきとした表情の長男を見てほっとしたし、頼もしく思った。
その長男からすすめられたのが「手紙」というDVDだ。児童養護施設の子どもたちと重なるんだそうだ。東野圭吾の原作だから、すでに読んでいたが、レンタルで借りて観た。そして、泣いた・・・。
写真は総会で「千の風になって」を合唱する参加者(上)と、連帯の挨拶をする田村貴昭九州沖縄比例候補(下)
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2007年11月6日(火) |
研修会から帰ってきました |
昨日、今日と2日間、自治体問題研究所が開催した市区町村議会議員研修会に行ってきた。
5日は、1時から5時まで。3こまの講義が3人の講師で行われ、今日は、9時から4時まで4つの選科に分かれた講義。私は「基礎から学ぶ自治体の財政」に参加した。
この研修会、220名の定員を設け募集したが2週間で定員いっぱいになったそうだ。全国からさまざまな会派や無所属の議員さんが集合し、「自治体の財政」の選科は、参加者の約半数113人が参加していた。中身の濃い研修会。特に、今日の自治体財政の研修は、面白くあっという間に時間が過ぎた。久しぶりにみっちり学ぶことができてうれしかった。
この研修会に参加する前日に、小沢一郎氏の党首辞任の記者会見が行われ、この間、TV・新聞では、民主党の小沢一郎氏の辞任劇が延々と報じられていた。
そして、今日最終便で帰って、10時前、テレビをつけてみれば党首続投を決意したという、なんともあきれた結果。自民党との大連立の話なども含めて、自民・公明政治を変えてほしいと民主党に願いを託し1票を投じた有権者のその思いなんてどこ吹く風の党内どたばた劇だ。
もうひとつ驚いたのは、自民党大分1区の予定候補に三浦由紀議員(現在議長)が決定したということだ。彼は、私と同じ4期目、気さくで快活な議員だ。彼は、「中央と地方の格差を見ると、このままでは地方がつぶれてしまうのではないか・・・」など記者会見で語ったらしい。でも、この格差をつくりだし、地方がつぶれるような政治を続けているものこそ、彼の所属する自民党であり、そして仲良しの公明党ではないですか、三浦さん。そこを忘れてもらっては困りますよ。
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2007年11月4日(日) |
第3回『河川クリーンアップ&健康づくり』 |
今日は、朝8時から「河川クリーンアップ&健康づくり」
木の本公園に集合し、大分川までのごみ拾いに参加。舞鶴橋バス停にあがる階段のすみっこに放置されたたくさんのごみは、拾ったがその他は、ほとんどごみは見当たらなかった。
土手には、市長のマニフェストの実現である、健康づくり器具が設置されていた。「こんなのいるんかなあ」と思わぬでもないが、設置されたからには有効に活用していただければいいのだけれど。予算は1千万円が計上されていたけれど・・・。
夕方、なにげにTVをつけていたら、日本一厳しい消防学校の番組。思わず観てしまった。
公務員である消防士として採用されても半年間の消防学校を卒業できなければ消防士にはなれない。大阪弁の厳しい檄が飛ぶ学校。
「ここは日本じゃないって思いました」と言っていたひ弱な青年達が、半年間の訓練で見る見るたくましくなり、連帯感を生み出していく。一人前になり、卒業の時は教官に泣きながら頭を下げて出て行く。彼らが、市民の命と安全を守る頼もしい存在として活動するのだ。見終わった私も思わず涙。
(写真は健康づくり器具と、がんばってまだ咲いていた大分川土手のコスモス)
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2007年11月3日(土) |
薬害エイズのつどい |
京都市長選の候補者、中村和雄弁護士のブログを時々開いている。
11月1日のブログに、「伏見区の中学生いじめでうつ病に」がアップされていた。教育委員会の「携帯電話は使い方をあやまると凶器にもなる。ネットいじめを絶対にしないという指導を全市に徹底したい」というコメントに、彼は唖然としたという。
彼は書いている。
「いじめた3人の女生徒の心情を時間をかけて聞きだすこと。いじめはいじめる側におおきな心のゆがみや傷がある。そこをしっかり掘り下げることが必要。」
そのとおりなんですよね。ここを重視する人が市長になれば、子ども達のSOSをしっかりキャッチできる街になると思う。こんな人が市長になれば私の大好きな京都はもっと素敵な街になるだろう!
今日は、「草伏村生さんとM君を偲ぶ薬害エイズのつどい」に参加。
会場のアートプラザの研修室は満員。
薬害エイズの闘いで、菅厚生大臣が、患者や家族に謝ったときの映像、裁判で和解が決定したのを受けて急遽記者会見をした草伏さんの映像。
そして、M君のおかあさんが読んだM君の日記など涙が出て止まらなかった。
2度と薬害を繰り返さないと約束したのに、薬害肝炎、そして厚生労働省による薬害肝炎の被害者が特定できる資料の情報隠し。
「薬害は情報かくしとセットになっている」とは、弁護士の言葉。
この国の政・官・行の癒着の構造を断ち切らねば・・・。
実名を公表し裁判を闘っている薬害肝炎原告の出田妙子さんがお話をされた。
「病気を抱えて裁判を闘うことの大変さを実感している。官僚を相手に泣いたり怒ったりばかりしている。私は本当は笑って暮らしたいんです!!」
泣きながらの訴えは胸に響いた。薬害肝炎メルマガがあります。ぜひ登録してください。登録はメールするだけです(無料)。 linekiyo@oct-net.ne.jpへ、どうぞ!
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2007年10月30日(火) |
高山辰雄画伯の市民葬 |
10日ぶりの日記。
今日は、9月14日95歳で亡くなった高山辰雄画伯の市民葬に参列する。日本を代表する画伯も、戦争中は絵を描くにも規制が厳しく、子ども向けの絵を描いたりして過ごしたという。
前知事の平松守彦氏が友人代表で弔辞を読んだのにはちょっと驚きましたが……(どんな驚きかはご想像におまかせ)
NHKのニュースで、東京で障害者団体などが開いた障害者自立支援法の見直しを求める大集会が報道された。
私は、決算委員会で自立支援法導入前の平成17年度と導入後の18年度の障害者施設毎の交付金の額を資料として求めた。
一覧表になった資料を見ると、急激に利用者を増やした一部の施設を除き、ほとんどの施設の交付金が大幅に減っていることが一目瞭然だった。
応益負担の撤廃とともに日割り計算で施設に支払われる交付金の算定の仕方を改めることも絶対必要。施設で働く職員を日雇いすることは出来ないのに、交付金は日割り計算だなんておかしいと思いません?
これを改めない限り、施設は障害者の立場に立った施設運営ではなく、どうしたら交付金の額を増やすことができるかという方向に目を向けた施設になっていかざるを得ない。そして、生活できる給料が保障されなければ、福祉の心を持った若い職員が施設を去っていかざるをえなくなる。
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2007年10月20日(土) |
最高の映画! マイケル・ムーアの「シッコ」 |
昨夕、ずっと前から観たかった「シッコ」を観に行った。17日の日記に書いた裁判を闘っている彼女と。
ひょんなことから「私も観たかったんです。時間が合えばご一緒しましょう」ということになったのだ。「華氏911」も観たが「シッコ」の方が断然おもしろい。
自己責任のアメリカの医療。国が運営する皆保険制度のイギリスやフランスそしてキューバの医療は患者のためにこそ存在する。しかしアメリカはすべて自己責任ではいる民間保険。
保険に入れない人は、切り落とされた指がつながったりつながらなかったり、金の切れ目が命の切れ目だ。保険に入っていてもガンなど治療の範囲を決めるのは保険会社。
医療は、保険会社の利益第一のために存在する。治療の効果なしと判定を下すと医者の報酬が上がっていく仕組み。日本のめざそうとする医療とリンクする場面が出てくる。
暗く、重くなりがちなテーマが、彼のユーモアーのセンスと取材力によって、考えさせられ、笑わされ、そして人間愛にほろっと涙が出てしまう。最後はすがすがしく心がほっとあったまる映画。
まだ観ていないみなさん、わさだタウンで26日までのようです。オススメの映画です。彼女いわく「マイケル・ムーアは本当にアメリカを愛しているんだね。愛があふれてる映画だね。観て良かった!」
彼女の裁判のことを中村和雄弁護士が19日のブログに書いている。ちなみに中村弁護士は、来年2月におこなわれるが、ひどい同和行政でゆれる京都の市長選の候補者!
私のホームページのアクセス数が今日2万件を突破したようです。いつも読んでくださっているみなさん、ありがとうございます!今後もよろしく!
(写真は「シッコ」の公式ホームーページと、まだがんばって咲いているコスモス)
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2007年10月17日(水) |
労働裁判傍聴記パートU |
6月22日の日記(こちら)に上司である弁護士を相手取って労働裁判を闘っている女性のことを書いた。今日は、最大の山場、証人尋問の日。
傍聴席は満席。10時半から5時まで、3人の証人尋問を聞いた。彼女の本人尋問はすがすがしく、凛としていた。被告側の弁護士の皮肉を含んだ棘のある質問にも背筋をピンとのばして理性的に答える姿は素敵だった。
原告側弁護士が、証人とのやりとりでじりじりと核心に迫っていく様は、テレビのドラマや推理小説よりも面白かった。一言も聞き漏らすまいと傍聴席も緊張につつまれていた。
弁護士を相手取って裁判を起こすのは全国的にもめずらしい。人権を守るべき弁護士が人権を侵すパワーハラスメント・解雇は許せないと立ち上がった彼女の弁護士は当初見つからなかった。
大分県内、九州、引き受ける弁護士がなく、彼女は京都まで飛んだ。引き受けてくれたのが京都市民共同法律事務所・中村和雄弁護士(http://www.neo-city.jp/ 写真上)だった。その後、大分でも弁護士が4人名乗りをあげて、現在8人の弁護団が組まれている。
彼女を支える会もつくられ、裁判所へ提出する署名活動も行われている。裁判終了後、報告集会が開かれた。弁護士さん達は満面の笑顔。勝利の手ごたえを感じたようだ。
彼女は、あいさつで「みなさんが勇気があると言ってくださるけれど、私は弱い人間です。これまで縁のなかった方たちが支える会で助けてくれ、ほめてくださる。くじけそうになったときにメールが入り、電話が入る。私は、相手が弁護士だからと知らん顔して毎日を過ごすことはできなかった。解雇という言葉を抱えて生きていくわけにはいかなかった。裁判官の前で、この解雇は間違っている、おかしいことがいっぱいあるということを言いたかった。声をあげてよかった。なき寝入りしなくてよかった!」
・・・自分の人権を大切に出来る人は他人の人権をなにより大切にできる人だと思う。こんなに凛として素敵な人に出会えたことを誇りに思う。
(色づき始めたみかん 写真下)
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2007年10月11日(木) |
長い長い議会がやっと終了 |
昨日の臨時議会で、1ヶ月の議会が終了。ほっと一息です!
9月10日に始まった9月議会。その後、決算審査特別委員会が続き、昨日1日だけ開会された平成18年度決算認定のための臨時議会でやっと1ヶ月の議会活動が終了した。長い長い議会だった。「ああ、終わったぁ〜!」っていうのが実感!
決算審査の委員会では、執行部が提出した審査のための資料以外に、質疑に必要な資料提出を事前に求め、分析を深めながら質疑を行う。議会としてのチェック機能が問われる。毎日が緊張の連続だった。
執行部に対し、要望を出すことも大切な仕事だが、他の会派の委員さんはお一人を除き、ほとんど質疑も要望もなし!
審議が終了し、委員会のまとめを行ったときに、議会事務局が審議の中で出された要望のまとめを行った。
文書化したものを作成し、読み上げたが、要望項目は48項目。そのうちの43項目は、私が出した要望だ。
日常活動の中で市民から聞いている要求や市政分析の中で疑問を感じたこと、そして資料提出を求め分析の中で問題としてとらえたものなど様々だ。
決算委員会を通じていくつかの課題もでてきた。12月議会にむけて、調査を深めていく。11月には、自治体研究所主催の研修会に参加し、自治体の財政についてもう一度基礎から学ぶことにした。
今夜は「金八先生」を9時から観た。赤旗に、学校選択制のことなどがテーマの一つになっていると紹介されていた。
大分市では学校選択制(隣接校選択制)の試行が今年から始まった。この制度一つだけ見ると何が問題かぼやけているようにもあるが、この制度を縦糸とすると、横糸には、学力テストの実施がある。
市は結果の公表をしないとしているが、県は一部結果の公表を行っている。この2本の糸は(制度は)子どもを本来の教育の目的から遠ざけていく。そして教師も・・・。
今夜の「金八先生」でも、学校選択制により、桜中学が金八先生の過去の教え子の子どもからも選ばれないことが織り込まれていた。どのように展開していくのか楽しみ。ぐいぐいと引き込まれていった。
(写真は往年の勢いを失った背高泡立草と金八先生の一シーン)
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2007年10月7日(日) |
昨日は高校時代にタイムスリップ! |
昨日の、昭和49年卒の国東高校のクラス会は文句なしに楽しかった。
高校時代にタイムスリップしましたねぇ。静岡、大阪、福岡、沖縄全国に散らばっている同級生が集まりました!
認定看護師の資格をもちがんばっている人、地元で農業をついでしっかり生きてる人、子どもがプロ野球選手になっている人もいたりして・・。
髪が白くなっただの、薄くなっただの、お腹が出ただのまあ、言いたい放題。
記念写真を撮りに、高校に足を踏み入れたのですが、校舎はすっかり建てかえられ、私たちが3年間汗を流したテニスコートは違う場所に移され、今は自転車置き場に変身。
残っていたなつかしい建物は、部室と体育館、体育館から校舎への渡り廊下・・・。
それぞれの場所で写真をとって、しゃべり、涙が出るほど笑い楽しい時間だった。
幹事を務めてくれた人たちがいてのクラス会。感謝・感謝です。
一人づつ名前(旧姓)と卒業アルバムの写真が入った大きなネームプレートが配られた。それを見て「ええっ?Kさん・・そう言えば・・」など会話も弾んだ。自分でも驚いたのは自分の髪型が高校時代のままだということ、顔が次男にそっくりだということ、でした。
今朝、国東を出て、昼前、医療生協の健康祭りへ。雨が降らなくて良かったですねぇ。
(写真は稲刈り真っ最中の国東・高校部室の前でテニス部の仲間と)
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2007年10月6日(土) |
予算への態度 |
昨日の決算の続き。
大分市の借金は一般会計だけで2,068億円を超える。一般会計の予算額が約1500億円。特別会計の借金も1,081億円。あわせると3150億円。市民一人当たり約67万円の借金額だ。木下市政の終盤、借金が急速に膨れ上がった。
私たちは大型公共事業の見直しを口をすっぱくして主張してきたが「大丈夫、大丈夫」と借金を重ねてきた。それを追認してきた与党の責任も重い。
田ノ浦の人工海岸と島も反対したうちの一つだ。市民の憩いの場所だからいいではないかという声もあるかもしれないが、今、ここの管理費だけで年間7千万〜5千万円になっている。もっと効率的でお金のかからない「憩いの場所」を作る方法は、いくらでもあるはずだ。
口をすっぱくして主張しやっと実現したのが大分川ダム建設の水利権の見直しだ。
人口が永遠に増え続けることを想定し、飲料水の使用量も過大に見積もって、日量新たに10万7千トン要る!と、国のダム建設の3分の1を大分市民が払うという計画。
少なく見積もっても260億円の負担だ。
私たちは、ダム建設の中止を要求していたが、建設はどんどん進められてきた。途中からはせめて、水利権の見直しをと求めてきた。
釘宮市政になり、やっと見直しにとりかかった。市が水利権を10万7千トンから3万5千トンに修正して国に協議を申請したのが平成18年度だった。
昨日の議員団会議で、要求し続けてきたことが実現したことを評価しあった。もう1年早ければ、水利権見直しにペナルティを付けられずにすんだのだが・・・。
今朝、配ってきた赤旗日曜版には17歳の力士の死亡事件の関係で、元大鵬親方が登場している。「尊い命預かる自覚もて」と親方の心を語っている。
午前中は反対討論の手直しをして、昼頃国東へ向かう。(庭の柿が色づきました。秋ですねぇ)
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2007年10月5日(金) |
決算委員会も終わりに近づきました。疲れたぁ〜! |
今日は、9時半から議員団会議。平成18年度決算の反対討論の原稿の検討が中心だ。
新米議員の頃、財政分析のイロハは、大久保団長から教わった。疑問には適格に答えてくれたし、そのために読むべき本も教わった。
「新人だから知らないのは当たり前。分からないことは執行部に分かるまで聞きなさい」
とアドバイスしてくれ、議案や予算の会派説明会の時にかなりの時間がかかった。一緒に説明を受けていた大久保団長にしたら、「忍」の時間だっただろう。
2期目までは、予算、決算の分析は集団で議論(リード役は団長)していたが、3期目からは1人が責任を持って分析し、その結果を集団で議論して深めていくようになった。
さて、18年度決算審査を終えて、「市の財政はやっぱり大変だ!」ということだ。
この年は、自民・公明が老齢者や年金控除の廃止・縮小、定率減税の半減を強行したために、個人市民税が10・5%も増えている。(市民からみると増税)三位一体の改革という名目で国からの地方交付税は昨年と比べて26億円も減らされている。
庶民も、自治体も自民・公明のむちゃくちゃな財政運営の被害者ということだ。その防波堤の役割が地方自治体だが、大分市は、残念ながら十分なりえていないのが実情だ。
10日に決算認定の臨時議会が開かれる。討論原稿はその日のうちに、アップしたいと思う。
明日は、高校の同窓会が開かれるので、国東へ。なんでこんな時期に?母校である国東高校が来年4月統合される。名前は残るが場所は国東農工高校の場所に移るためだ。
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2007年9月30日(日) |
沖縄11万人の大抗議集会 |
今朝の新聞のトップは合同新聞も朝日も赤旗もみんな同じ。沖縄の11万人の集会の写真と記事だ。
高校の教科書から、沖縄戦の集団自決に軍の関与があったことを削除したことに対する地鳴りのような抗議の大集会だ。「私たちのおじぃ、おばぁがウソをついているというのでしょうか」という若者の言葉。「あの醜い戦争を美化しないでほしい。たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」・・・真実の叫びだ、沖縄の声だ。
24歳のときだったと思う、友人3人と沖縄に遊びに行った。
3泊4日だったと思う。観光し、離島で泳ぎ、買い物をし、遊んだ。最終日が月曜日。沖縄戦を伝える県平和記念資料館にだけは行きたいと思い、バスを乗り継ぎ行った。
ところが休館日。帰りかけたが、どうしてもあきらめきれず、中で人の気配がしたので、見せてほしいと頼み入れてもらった。
友人と2人で館内に足を踏み込んだが、集団自決に使ったさびたカマや着ていた血のりが変色し黒っぽくなった着物・・・。
たった2人の静かで薄暗い館内は恐ろしくて怖くて足早に出てきた覚えがある。好意で中に入れてくださった男性が「ここらあたりは戦場でたくさんの人が死んでいったんだよ」と話してくれたが、衝撃が大きくなにも言えなかった。
28年前は、まだ沖縄戦のこと、集団自決があったことは今のようにまだあまり知られていなかった。友人達に夢中で話した覚えがある。
午前中「九石ドーム広場」へ。
昨日・今日と市主催の「いきいき大分っ子まつり」が開かれている。2日間の一大イベントだ。昨年は3万人参加。今年もたくさんの子ども達が楽しんでいた。
日常でもたくさんの業務を抱えた職員が、この大きなイベントの成功のためにさらに縁の下の仕事に汗を流し、準備してきたことを忘れてはならない。
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2007年9月29日(土) |
津留小学校運動 |
早朝6時、津留小学校の運動会開催を知らせる花火が上がったと同時に雨が本格的に降り出した。心配したが曇り空にかわり運動会が開催された。
午前中は来賓として運動会に参加し、半日楽しんだ。
4年生のエイサー、5・6年生の騎馬戦、組み体操・・
文句なしにいい!危ないからと何でも禁止すればいいわけではない。特に子ども達の組み体操は教師の思い入れが感じられるすばらしいものだった。
子ども達の躍動感に感動していたところに友人からメールが入った。
とても厳しい病気で療養していた娘さんが奇跡的に回復し、世界大会に出るほどの実力をもっていたスポーツ競技に復活することができ、回復後初めての大会に出場するために弁当をつくって、大分から福岡まで車を走らせている途中の喜びのメールだった。
よかったねぇ!
午前中の最後は地域に伝わる甚吉物語の「甚吉音頭」を全校生徒、保護者、地域のみなさんで踊った。もちろん私も踊りの輪に加わった。
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2007年9月27日(木) |
9月議会昨日で閉会。で、今日から決算委員会です! |
昨日で、9月議会は終わったけれど、今日から7日間、決算審査特別委員会。平成18年度市民のみなさんからお預かりした税金の使い道について市民の代表の立場から検証し、来年度予算編成にむけて要望を執行部に伝えていく大切な場だ。
歳入、歳出全般に渡り検証するので準備にかなりの時間が要る。おととしまでは9月議会終了後、断続的に委員会が12月議会直前までかけて開かれていたので、他の活動をしながら準備できたが、昨年から集中審議になったので、決算に集中しなければならない。
昨年、老齢者控除などの廃止縮小、定率減税の廃止、それに伴う国保税や介護保険料の負担増に連動している。
もろもろで市民負担増は1年間で約40億円にも達する。高齢者で非課税世帯から課税世帯になったのはなんと8603世帯にもなることが分かった。その影響額は、市民税だけで1131万円。これに介護保険や国保の負担増分を加えると・・・。
高齢者の悲鳴が聞こえる。市民税や固定資産税の減免制度はあるが、生活保護世帯や災害時に限られており「・・その他市長が必要と認めるもの」のくだりが具体化されていない。「市独自の減免の制度をつくるべきだ」と求めた。
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2007年9月20日(木) |
ギネス記録認定されました!ほっ! |
今日から委員会審議が始まった。補正予算は災害対策関連。議案もあまりなく、午前中で委員会審議は終了。午後、決算委員会の準備で決算書片手にパソコンにむかっていた。
4時半過ぎ、担当次長が、「議員さん、先ほどギネス日本支社から05年8月7日付けでギネスに認定したと連絡が来ました!」とうれしそうに報告に来た。
「よかったねぇ!おめでとう!」と思わず拍手した。明日の委員会審議の項目に入っていたので、滑り込みセーフだった。
控え室を後にする次長に「お疲れ様でした。一安心やね」と言うと、「認定されれば当時の職員のがんばりが認められることになるんです」・・・ちょっと言葉は違うかもしれないが、こんな意味の一言が返ってきた。
彼は、当時がんばった職員こそ「お疲れさん、いろいろあったけど良かったね。よくがんばったよね」とほめられるべきなんだということを示唆したのではないかと思う。ああ、この人はこんなに素敵な感性をもってるんだなあと心がほっとあったかくなった次第。
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2007年9月15日(土) |
城東中学校の体育祭 |
朝から大雨、どしゃぶり!城東中学校の体育祭の日。
中止だろうなと思いながら電話すると「やります!」と返事。あわてて支度をして出かける。
城東中学校は、他の学校が5月に体育祭を変えている中、2学期の開催にこだわる数少ない学校だ。子ども達がクラスで団結し、力を合わせつくり上げることを味わう行事だ。
中学校時代野球の部活だけでなく生徒会を経験し、体育祭を成功させた経験をした次男にとってもなつかしい思い出らしく「行きたいな」と言っていたが別府の祖父の庭木の剪定をする約束をしていたのでそれを優先させた。
広がった青空の下、中学生の元気な姿に今年もまた、「ああ、子どもっていいなあ」と思える時間を過ごすことができた.
さて、昨日の質問で戦争遺跡などの保存も取り上げた。この中学校のすぐ近くに古い酒造倉庫があり、戦争中「海軍航空廠発動機工場」として使われていたところで、鉄の扉には銃弾の跡が残る貴重なものだった。
4年前に「戦争遺跡として保存を」と質問したが、数ヶ月前すっかり壊され、なんと現在パチンコ店をつくる工事が行われている。市も知らなかったと言うが・・・。
2年前大分県文化財保存協議会が「おおいたの戦争遺跡」という貴重な本を出版した。それを紹介しながら「公的機関として、次の世代に戦争があったということを伝える義務がある。ぜひ、戦争遺跡を残すよう取り組みを強めてほしい」と訴えた。
また、戦争を経験した方々がもつ貴重な戦時中の物品の保存と戦時中のことを伝える人の語りをDVDで保存することなど、歴史資料館の重要な仕事としてほしいとも提案をした。
一定、思いは受け止めていただいたと思う。私達の町、大分にも戦争があった、命を失った人がたくさんいたという歴史の事実を公的に残すこと、そして戦争は絶対にしてはならないということを伝えていくことは自治体の重要な仕事ではなかろうか。
午後は、決算書の資料に一通り目を通す一日となった。資料を取り寄せての分析はこれからだ。
(写真は城東中学校体育祭。3年生伝統のクラス全員のムカデ競争)
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2007年9月14日(金) |
一般質問を終えて・・ほっと一息 |
今回は、1日8人の質問。私は、8番目、最後の質問だ。
一昨年「ギネスに挑戦全市いっせいごみ拾い大作戦」が釘宮市長の発案のもと大々的に行われ14万6679人が参加し北九州市を抜いてギネス記録を達成した。・・・がしかし、ギネス社へ事前申請しておらず、幻の記録になるのではないかとマスコミが8月末報道し、いま問題となっている。私を含め、3人が取り上げた。
質問の前、自民党席から「もう、すんな。いいじゃねえか今まで2人も、したんやけん」などと親切に助言してくれる議員もいたが、そうはいかない。
事前申請しなかったことが、調査すればするほどおかしい。ネットで調べても、市が、実施した後に申請のための委託契約を結んだ業者のホームページを見ても、事前申請が重要と書いてある。北九州と松山2ヶ所に次長・課長など4人が出張しているが、報告書を見ると人を集めるための方法が調査の中心になっている。なんともお粗末。
「10万円もかけて視察に行くくらいなら、手続きの方法を書いている本を買って読んだ方が良かったのではないか!」と言ったが・・・。
事後申請中なので推移を見守りたいが、ギネス社が採用してくれるのを祈るのみ。しかし、なんともお粗末な取り組みだ。部長は「お詫びする」と述べたが、なぜこんなミスを犯したかの検証が十分でない。
昨日、質問順位が決まっての今日なので傍聴者はわずか。その内のお一人はホームページを見て来てくれた。そして一人は夏休みで帰省していた次男だ。夜、彼と長年の家族ぐるみのお付き合いをしているTさんご夫婦4人で食事へ。ほっと一息の楽しい時間を過ごした。
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2007年9月12日(水) |
私の一般質問は14日の3時半頃 |
あさってから、一般質問が始まる。初日の質問を希望している。
今回私は決算審査特別委員になったので、議会が26日に閉会すると翌日から決算審査特別委員会が始まり、10月10日までの長丁場となる。議会が1ヶ月続くと考えて腹をすえている。
午後、新日本婦人の会(大分県本部のホームページ開設!アドレスはこちらhttp://www2.plala.or.jp/sinfujin-oita)の大分支部の方と生涯学習課との話し合いに参加。
公民館使用に関して会に対して公民館職員からいくつかのオカシナ指導があり、改善を求めた。
「ご迷惑をかけ申し訳なかったと」と課長がきっぱり表明したために会員のみなさんはすっきり!
話し合いが終わり団の質問原稿の検討会。
安倍首相の突然の退陣の話題が飛び込んできた。「へっ?なんで今頃?」
安倍首相が所信表明演説を済ましそれに対する代表質問が行われようかというときに・・・。
「お坊ちゃまのすることはわからん!」というだけでは収まらない。私達の国の代表のすることは世界にむけて発信される。なんとも子どもみたいな首相を選び出した自民・公明政治の末期的症状の代表ではないか。
彼には政治家の資格なし!もしかして社会人の資格もないかも?・・・だって、大事な仕事がうまくできず、クライアントが「お宅の会社ではダメだよ」と言っているのに「いや大丈夫です。部下をかえれば立派に仕事をやり遂げます」と押し切り、クライアントが莫大なお金をかけて招集した大事な会議を開いてすぐ「やっぱりボクできません。クライアントさんの為に辞めます」・・・これじゃあ社会で通用するわけないでしょ!
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2007年9月9日(日) |
大石裁判福岡高裁判決 |
昨日、大石裁判の高裁での判決が出された。
大分地裁の判決である公民権停止をはずされたが、罰金15万円は変わらず。もちろん最高裁へ提訴する。
朝日新聞では「市議として社会貢献を」のタイトル。そして、「今後も市議として地域社会に貢献させる方が有権者の意向に沿うと考えられる。公民権停止は重すぎる」と判決の内容が報じられていた。
とりあえず豊後高田市民の大切な議席を守ったことになる。大石さんは裁判を闘いながら、議会活動も決して手をぬかない。私達議員の鏡だし、私などは足元にも及ばない。大石さんは、なんと11日は議案質疑、そして12日は一般質問の予定だ。(大石さんホームページは こちら)
上田市の「無言館」に行ったことは昨日書いたが、別所温泉に宿を取った。ここには、安楽寺と常楽寺という2ヶ所の観光スポットがあるがその間に、「タカクラ・テル、山本宣治の記念碑」があった。
「へー!こんな所にこんなものが・・・」と驚いていると息子が「なん?母さんの知り合い?」「うん!母さん達の先輩よ」「ふ〜ん」・・・
しっかり写真をとって帰ってきたが、別所温泉に泊まって良かった!でも記念碑の説明書きを読んだあとは、「知っていたら柏屋別荘に泊まっていたのに!」と思ったけれど・・・。
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2007年9月7日(金) |
無言館への思い |
「無言館に行きたかった・・」
夫の手帳に残されていた言葉。県外にいる息子たちと日程調整してやっと無言館へ行くことができた。
戦争中画家を志したが、その夢かなわず、戦争により命を奪われた方々の絵画が展示されている美術館が長野県・上田市にある。
館の扉を開けた瞬間から出るまでの一時間あまり、3人とも一言も言葉を交わさず自分の世界のなかで絵画や説明書きに見入った。
自画像が「絵を描きたい、描きたい」と語りかけてくる。自画像のまなざしが厳しく私に迫ってくる。
絵筆を持つ手を銃を持つ手に換えても戦地から家族に送った絵の入った手紙やはがき。戦後残された絵画を守り通した家族の思い。ここに書きつくせないものをたくさん受けとめて無言館を後にした。
夕食を取りながら息子に「この人は治也と同じ年や。この人は拓己より一つ上・・って思いながら見たよ」と話すと「俺も自分と同じ年や・・って思いながら見てた」と返ってきた。
買い求めた本の中に、「お上のつくった美術館だったら、絵は預けませんでした。だってお上の命令で命を落としたのですから・・」とあった。
(写真は無言館の入り口と慰霊の碑である「記憶のパレット」)
戦争は庶民の当たり前の生活やささやかな夢を容赦なく奪っていくもの・・・。自衛の名の下に戦争は起こされる。侵略の名の下に起こされる戦争は無くなって久しい。
憲法9条の1項は侵略戦争をしないことを定め、2項は自衛のための戦争もしないことを定めているものだ。9条は絶対にかえさせてはならない。「もっと生きたい、もっと絵を描きたい」と思いながら命を奪われた人たちの犠牲の上につくられたものだから・・・。言ってもどうしようもないが無言館は、4人でこそ行きたかった場所だった。
(哲二の無言館への思いは「ある日の会話第二回」に。 こちら から)
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