2005年8月29日(月) |
明日は総選挙の公示です |
いよいよ明日は総選挙の公示。
街頭からの訴えも、今日の夕方で終わった。若い女性が、何人も買い物帰りの袋を下げて、会釈をしたり「がんばってください」と言ってはげましてくださる。うれしいなあ。 明日からは、公職選挙法の規定で街頭からの訴えができなくなる。唯一できるのは候補者カーからだけだ。かわのひろこさんの演説を多くの方に聞いてもらいたいなと思う。
11日投票の総選挙が終われば、翌日の12日が9月議会の開会日。私たちは、選挙を闘いながら、議会の準備もしなければならない。さあ、総選挙がんばるぞ!!・・というわけで、しばらく日記はお休みします。
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2005年8月23日(火) |
河野ひろこ事務所開き |
70人が参加しての事務所開き。各分野の方々から激励や総選挙にあたっての思いなどが、それぞれ語られる。原稿を準備している方、思いつくままに思いのたけを話す方。でも、みんなみんな今の政治に苦しめられている方々の声を代弁していた。
ケアーマネージャーさんは、「介護保険が改悪され(自民・公明・民主が賛成)10月から自己負担がど〜んと重くなったけど、マスコミは郵政民営化のことばかり報道していて、利用者は不安ばかりを募らせている。例えばディサービスの昼食代も自己負担になり、それが500円になるのか、600円になるのか、まだ決まっていない。お年寄りに不安ばかり与えるやり方は許せない」と語った。
河野ひろこさんは実は裁判のたった一人の原告となったことがある。野津原船平につくられている「産業廃棄物最終処分場」は現在汚水や悪臭、県外からの大量の産廃の持込で大変なことになっている。(めぐみ日記の最初の方に書いていあります)
実は10年ほど前だったか、操業初期の頃、堰堤がくずれて大問題になったことがある。大分市緑が丘の住民と野津原住民が、操業停止の裁判を闘おうとしたが、原告適格者は、河野ひろこさんだけだったという経過がある。野津原町議会では、彼女だけが産廃場問題を取り上げ、町に水質検査などをさせてきた。野津原の方々は、なにものをも恐れず立ち向かうひろこさんをとってもたよりにしていた。議員バッチはないが、それは今も同じ。 彼女は、町議会での経験を話しながら、「野党でも共産党の議員なら、住民と力をあわせれば、いろんなことが実現できる。それは、国政でも同じ」と事務所開きで訴えた。今度は国会議員のバッチをつけさせたい。
今日も街頭演説。この間、マンションの最上階のお部屋からお母さんと子どもさんが手をふってくれたり、車のスピードを落として、窓を開けてわざわざ「がんばってください」と言ってくれたり、励まされる。今日は、演説が終わると駐車場の車の陰で聞いていたまったく知らない男性から呼び止められた。
「ずっと、あなたの演説を聞いていたが郵便局に1円も税金を使っていないのはホントのこと?」
「ええ、独立採算制ですから」
「でも、あんなにたくさんの職員の人件費が事業の利益からでるんかな?」
「それはでますよ。出た利益の半分は国庫に繰り入れもしているくらいですから」
「う〜ん」と首をかしげて考え込んでしまった。
「共産党の国会議員の質問に竹中さんが『税金は使っていません』とはっきり答えてるんですよ。私たちが街頭でウソを言ったら叱られますよ。まちがいありませんから」
・・・彼は、初めて聞いて、驚いたんだと思う。知らない人がいっぱいいる。知らせよう、知らせよう!!
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2005年8月20日(土) |
さよならわかば園(1) |
今日は、わかば園のお別れ会。職員OBにも案内状をいただいたため私も参加した。
児童福祉施設「わかば園」は以前私が職員として働いた職場だ。ここで私は家族を失った子どもたちと12年あまり過ごした。
きれい事だけではすまされない子どもたちとの交流。職員の格闘。世間の無理解と行政の冷酷さ・・・ 挫折するのは簡単であるが、どうしても逃げることを許さない現実の重さがそこにはあった。
子どもたちのために、とは言うまい。私のために、自分自身の尊厳を守るために、この現実に立ち向かおう。こう決心したことが、私の議員活動の原点になっている。
すでに私の体の一部となっているわかば園。参加してみると、なつかしい顔・顔・顔。
大分育児院の頃からのスライド上映。子どもたちの思い出のことば、OBからのことばなどなど。わかば園での子どもたちと職員の思いをのせて、お別れ会は進行していく。
わかばホールでは、わかばの子どもたちが長年お世話になった「金池ボランティア」の方が、カキ氷やヨーヨーつりを準備してくれ、わかばの子やOB が連れてきていた子どもたちが楽しんでいた。私もすすめられるままにカキ氷を2杯食べた。(これが昼食のかわりとなった)
園庭では高校生・OB・男性職員OBがキャッチボール。卒園生が園に忘れていった通知表や日記帳が準備されており大騒ぎ。楽しいひとときを過ごしたけれど・・・。「もう、集まるところがないなあ」とぽつりとつぶやいたその言葉が心に残る・・・。
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2005年8月20日(土) |
さよならわかば園(2) |
わかば園のお別れ会の最後に、子どもを代表して、現在高校3年生のKちゃんがあいさつをした。Kちゃんのことばを、思い出すままに・・。
「私は4さいの時にわかばに来ました。私には帰る家がないので、わかばが私の家です。悪いこともいっぱいしました。でも、兄と職員さんに助けられてきました」
「私には大切なものが2つあります。ひとつは小学校6年生から続けている園長先生との交換日記です。もうひとつはわかばの職員さんとわかばの仲間です。・・・わたしは、夢を持つことができました。人のお世話をする仕事につきたいと思っています。介護の仕事をするために今、ヘルパー2級に挑戦しています」
「わかばがなくなるのは寂しいけれど、OBの人やわかばの職員さんががんばってくれて、新しい施設に職員さんが5人一緒にいけることになりました。心配なことはいろいろあるけれど、前向きに新しい施設でわかばの良いところを広げていきたいと思います」
声をつまらせながら、かみしめるように語るKちゃん。私はKちゃんがわかばにはじめてきたときのことをとてもよく覚えているが、ホントに成長したなあ。思わず熱いものがこみ上げてくる。
合理化、効率化の名目で、市民のための支出がどんどん削られていくことに悔しい思いをしているが、とりわけわかば園のような子どもたちの施設にまで削減が及んでくることには強い憤りを感じる。そして悲しくなる。
ささやかではあるが、私が力をつくしたわかば園。私を育ててくれたわかば園。これまで本当にありがとう!
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2005年8月17日(水) |
「小さな政府」の大ウソ |
午前中の街頭演説が終わった時のこと。私がよく行くお店で、「ねぇ小手川さん、共産党は郵政民営化はどうなん?」と聞かれました。以下はそのやりとりから・・・。
「えっ、共産党は郵政民営化に反対? どうして?」
「一般的に民営化すべてに反対するわけじゃないけれど、郵政民営化は国民にとって百害あって一利なし、というものだから」
「だけど、郵便局員の人が公務員でなくてもいいんやないん?」
「もしかして、税金が使われちょんって思うちょん?」
「うん、やっぱ税金使わんでほしいわぁ。赤字を税金でうめるのはもうたくさん」
「ちょっと待って。郵便局は赤字じゃないよ。それどころか大幅な黒字で、その利益の半分は国庫に入ってるんよ。国はずいぶん助けられているの」
「うそおー!知らんかったぁ〜! だけど、小さな政府を作るため公務員は削減しないと」
「だから郵便局は独立採算の郵政公社事業なので、職員の給料に税金は1円も使っていないんよ」
「知らんかった。でも民間にしたらサービスがよくなるかも」
「民間にできないサービスをしてきたのが郵便局よ。もし営利主義の民間にゆだねたら過疎地の郵便局は存続できないわ」
「うーん。なら、何で民営化するんだろう?」
その他にも、いろいろ話しましたが、国民の側から見たときに郵政民営化っていったいなんだろうってことを分かりやすくマスコミはもっと報道してほしいなぁって改めて思ったやりとりでした。
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2005年8月16日(火) |
今日から街頭宣伝 |
今日から、本格的に街頭宣伝に入った。今日は夕方4時〜7時まで8回の街頭演説。このうち1回は、もう1年半になろうか、毎週火曜日の「自衛隊のイラク派兵反対・憲法9条を守ろう」のアピール活動。夕方5時から30分間地元の交差点で続けている。今日は衆院1区の予定候補河野ひろこさんも加わり、地元支部の人たちも含め、総勢9人が交差点に並んだ。(写真は河野ひろこさん)
下郡で演説しているときに、病に倒れ寝たきりになってしまったお母さんを何年も介護されている娘さんが、「声が聞こえたから」と来て激励してくださった。握手をした笑顔がお母さんにそっくり! 料理がとても上手な方で、お元気なときには、差し入れをいただいたことも何度か・・・。 娘さんの笑顔を見ながらポテトサラダの味を思い出してしまった。
ご家族の献身の介護を思うとき、奇跡的に意識が回復し、元気になられないものか・・・と願わずにはいられない。
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2005年8月5日(金) |
河野ひろこさんのこと・・・ |
全国保育団体合同研究集会、地方分権等調査特別委員会視察と続き、ほぼ1週間ぶりに大分に帰ってきました。衆院1区予定候補に決定・発表された、河野ひろこさんに会おうと、党の事務所をたずねたら、「早速、つつみ栄三さんと街頭演説にでているよ」・・・そう、河野ひろこさんは、そんな人なんです。
行動力があり、エネルギッシュで、そして細やかな心配りができる人。政治家としても4期16年野津原町議会議員として野津原の方たちにとても頼りにされていた人です。野津原の方たちも、私たちも彼女のことを「ひろこさん」と親しみをこめてよんでいます。
ひろこさん、大分1区から国政に押し上げたいですね。彼女の写真を載せたいのですが、今日はつかまらず、写真がとれません。あっ、とれても画像取り込みができなかったっけ・・・。残念!!またの機会に・・・。
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2005年8月1日(月) |
7500人の保育団体合同研究集会IN広島・・
もらったのはエネルギーと宿題 |
7月30日から今日までの3日間、広島で開催された「第37回全国保育団体合同研究集会」に行ってきました。私が20歳から24歳まで保育所で働いていた頃、自費で保育の研究会に参加していましたが、今回はホント、20年ぶりくらいに思いたって出かけました。
人を相手にする仕事は「自分の仕事はこれでいい」と満足したときは危険信号。常に研修を重ね自分を研さんすることが求められています。
子どもを育てる保育者のエネルギーは本当にすごいものがあります。30日の午後はじまり、1日の午前のアグネスチャン氏の講演まで、びっしりと学習の機会を得ました。
今回の集会のテーマは「輝け!子どものいのちと笑顔 ひろげよう 平和へのねがい」。子どもに最善のものを保障する保育を求めること、なによりも、子どもたちのために、より良い保育のために大人たちが手をつなごうという呼びかけが3日間の集会の背骨になりました。2日目は41もの分科会と、12の講座、1つのシンポジウム。3日間、7500人もの人が参加した研究集会で、明日からのエネルギーをしっかりもらいました。
久々に参加して、20年前と変わったなぁと思ったのは、男性保育者がとても増えていたこと。それと子どもを語るには、子どものことだけでなく、親、家族を含めた生活全体を捉えなければならないという視点が定着してきていることでした。
大分市は、「少子化がすすんでいるから、認可園を増やすと将来保育所があまるといけないので・・」とヘンな理屈で認可保育所を増やさない。(保育園に入れない今・現在の子どもたちはどうなるんだ!っていつも腹をたてています)
公立・認可保育所の、定員を大幅にこえ、詰め込み保育をおこなっている大分市の安上がり保育が、とても気になっている私にとって、児童心理学を学んだアグネスチャン氏が語ったことばがずっしりと心に残りました。
「5歳までの子どもに人を信じる心が育つ。5歳までは無意識の時期。無意識に体に染み付いたものは大人になっても覚えている。無意識のなかで入ったものは直すことはできない。だから5歳までを大事にしてほしい、いい経験をたくさんさせてほしい。一人一人の人生のスタートを美しくしてほしい。」・・・
一人一人を大切に人生のスタートを美しくできるための環境ができているだろうか。子育てをする夫婦を応援する努力を、国も自治体もきちんとできているだろうか。エネルギーと一緒に、宿題もいただきました。
明日からは地方分権等調査特別委員会の視察で、三重県と宇都宮市にでかけます。4日に帰って来ます!・・デジカメから画像が取り込めなくて写真が載せられません。とほほ・・。
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2005年7月28日(木) |
生活と健康を守る会 |
朝、6時過ぎから市議団ニュースなどのビラを配る。6時半になると小学生のラジオ体操が始まった。もう夏休みなのだ。我が子が小学生のころ、子どもを起こすのも、自分が起きるのもたいへんだったことを思い出した。
早朝はすずしいけれど、1時間もビラを配るとさすがにあせびっしょり。「読んでくれるといいな・・」と思いながらシャワーで汗を流す。
10時半から、「大分県生活と健康を守る会」の対県交渉に参加する。都合で午前中しか参加できなかった。
この「守る会」は、毎年、県・市に対し、会員の方々から出された切実な要求をもちより、その実現に向けて粘り強く運動を続ける団体だ。会の役員を続けているふくま建治議員には、頭がさがる。
午前中は、「乳幼児医療費の就学前の無料化」や介護保険制度の問題について。介護保険制度が国によってまたいじくられたが、実際ヘルパーの仕事をしている方や要介護度5の寝たきりの家族を抱えてる方などから、「変えてほしいところは変えずにサービス量がたりず苦労している」ことなど切実な声がだされた。
行政マンにとっても現場の、それも率直な声を聞くことができるいい機会ではなかろうか?
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2005年7月24日(日) |
日本一小さな祭り「南津留夕涼み会」 |
私の住んでいる南津留は、結構みんなに自慢できる町だ。夏休み、子ども会で2年ほどやっていた「夕涼み会」を自治委員さんが、「こりゃあいい」と賛同。地域の取り組みに格上げして、今では町内あげての取り組みに・・・。
老人会の方も、子ども会も、地域の方も大勢参加して、 今年でちょうど、10回を数えた。私も、同じ世代の女性7人と、毎年「鳥飯」「赤飯」を作って参加している・・・(と言えば聞こえがいいけど、正確にいえば、お米をといだり、出来上がったのを小分けしたり、荷物を運んだりだけどね)
おまんじゅうをつくって参加する人。プロなみのパンを作って参加する人。焼きそば、焼き鳥、ビール。子どもは、アームレスリング・ヨーヨーつり・綿菓子・ポップコーン・イエスノークイズなど盛りだくさん!
南津留にこんなにたくさんの子どもたちがいたんだ!と改めて認識させられる。今年は赤ちゃんを連れて参加する若いお母さん・お父さんの姿が目立った。
「今日はトリニータの試合があるけど、夕涼み会があるから、いかれん!」
と子どもたちが楽しみに待っている祭り。お父さんがビール飲みながら、地域の人と仲良くなる祭り。なんとすてきではないか!地域のまとめ役、自治委員さんがビールで赤くなった顔をにこにこしながら、ご機嫌の日でもある。
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2005年7月22日(金) |
今日は集金日 |
今日は、丸一日を「しんぶん赤旗」の集金の日と決めて、朝からフル回転。私は市の出先機関を中心に集金している。今日まわったのは、17ヶ所。(あと3ヶ所は残ってしまった・・・うーん)
大変ではあるが、一ヶ月に一回、出先職場の市職員と会えるのは楽しい。(集金される側の職員はどうかしらないけれど・・・) 市議会の会期中だと、議会の様子をリアルタイムで話したりすることもある。
「その件については今度、質問させていただきます」と予告して帰ることも・・・。
今日はとにかく暑くて暑くて、冷房の車から炎天下に出てまた、冷房の建物の中を出たり入ったり・・・ 夕方ついに頭痛がひどくなりダウン。
うーん、若くないなあ!!
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2005年7月21日(木) |
費用弁償を辞退する給料日 |
毎週木曜日には議員団会議が開かれる。くわえて今日は給料日(正式には、報酬をいただく日)。私たちが、費用弁償の受け取り辞退を表明して初めての給料日だ。昨日からマスコミの問い合わせが続く。
私たちは費用弁償を辞退する方法として、「費用弁償の請求書に印鑑を押さない」ことを申し合わせている。こうすると議会事務局が、会計課から費用弁償額を引き出せないことになり、保留扱いになるのだ。手つかずの金額が会計課の帳簿に加算されていくことになる。
ただし問題もある。規定により保留にも「時効」があるのだ。5年間は、保留扱いで問題がないが、それを過ぎると市の会計に戻入されてしまう。これを、「寄付行為」とみなされれば、公職選挙法に触れる恐れが出てくる。マスコミもこのあたりに関心を持っているようだ。
私たちは、この猶予期間の5年間に、議会出席時の費用弁償を、制度として廃止させるために全力をつくす。万が一廃止できないまま「時効」になった場合は、その時点で対策を考えることにした。もしその時点で、私たちが政治家でなければ、大分市内の福祉施設などに寄付することは問題にならないし、政治家であったとしても、他の自治体の福祉団体や災害時の寄付などであれば、許される可能性がでてくる。いずれにしてもはっきりしていることは、絶対に自分たちの懐に入れることはあり得ない、ということだ。
「市議団ニュース」の最終チェック。やっと私の大きな仕事のひとつが終了。23日の市政懇談会に間に合わせることができ、一安心。
さて、次に、自分のをつくらなきゃならないけど・・う〜んどうしよう?!
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2005年7月20日(水) |
自立を奪う「自立支援」法案 |
障害者「自立支援」法案とは、自立を「支援」するためのものであるどころか、障害者の生活そのものを脅かす、とんでもない悪法である。この悪法の衆院成立強行に反対する大分県大集会とデモ行進に、私は参加した。
集会が始まる前、用意をされていたイスはいくつあったんだろう? 200くらいかな・・・。集会の時間が近づくにつれて、そのイスが足りずに次々と追加され、参加者は約400人にふくれあがった。
照りつける日差しの中、車椅子の方、白杖をついた方、杖をつき懸命に不自由な足で歩く方、車椅子を押す施設の職員、障害者家族の方々── たくさんの人たちが集結した。集会に参加した方ほとんどがデモ行進にも参加していたように思う。
デモの先導カーのスピーカーを通して訴えるのも、集会のタイトルの横断幕を書いたのも、みんな障害者。自立支援法案がどんなに自分たちの自立を妨げ、重度の障害者ほど重い負担をしいられるのか、切々と訴えられた。これほどの怒りが、全国から参院へ届いてほしいと願わずにはいられない。
障害者自らが、そして、ご家族が、また、福祉施設などで働いている職員の方々などが、「絶対許せない」と怒っている障害者「自立支援」法案は、自民・公明の賛成で衆院を通過し、参院に送られた。 この 法案の一番の問題点は、サービス利用料が、これまでの所得に応じた「応能負担」から一律に1割負担を求める「応益負担」となること。
当事者の声をほとんど聞かずに準備された法案。その目的はただひとつ、障害者施策にかかるお金を削ること。削るべきところは他にもいっぱいあるはずなのに、わが国の政治のなんと貧しいこと。
参院での廃案をめざし、声をあげ続けること、その声が永田町に届くことを願ってあきらめない。がんばりましょう!
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2005年7月16日(土) |
素敵なコンサート |
「小手川さん、チケット買ってもらえません?」
すすめられて行った「合唱団藍コンサート」だったが・・・
行ってよかった! これが実感である。久しぶりに楽しい時間を満喫することができた。
合唱団藍は77歳〜30歳までの30名ほどの女性ばかりの合唱団。
「歌が大好きで、歌を楽しんでいます!私たち!」
っていうカンジのコンサート。ほのぼのとあったかい雰囲気につつまれた時間を楽しませていただいた。ありがとう! 3年後20周年のコンサートを開くって言ってたけど、その時にもぜひ誘ってほしい。チケットをすすめてくれたSさん、ありがとう。
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2005年7月10日(日) |
党創立83周年の演説会 |
日本共産党創立83周年記念演説会が別府のビーコンプラザで開かれた。演題は「激動する世界と日本共産党を語る」
党の国際局次長として活躍している笠井亮(かさいあきら)さんの講演である。日本共産党の野党外交について、当事者しか語れない話もたくさん盛り込まれており、おもしろくてあきさせない。
一緒に行ったKさんが帰りの車のなかで「笠井さんて、久米宏に似ているね」だって! そういわれればそうかも・・・。
衆院解散総選挙も視野に入れた、田村貴昭(たむらたかあき)衆院九州沖縄ブロックの予定候補のあいさつも、国会で私たちの思いを届けてほしい、働いてほしいとの思いを強くした。
夜、北海道に住んでいるクリスチャンのいとこから、「カトリック平和憲法を守る会北海道」がつくられ、自分も呼びかけ人の一人になっている。8月15日に意見広告をだすことになったので協力してもらえないだろうか、とうれしい電話があった。呼びかけのチラシをファックスでおくってもらった。そのなかから・・
「キリストは命じました。『剣をさやに納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる』と。その第一歩として、世界でも類を見ない高い理想をかかげた日本国憲法9条を堅持したいのです。」
マスコミはほとんど平和憲法を守る取り組みの報道をしないが、草の根のように広がっている平和憲法を守る取り組みがここにもあった・・とうれしくなった。
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2005年7月8日(金) |
平和行進に参加 |
今年も、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者の援護と連帯を求めた、平和行進の季節がやってきた。今日の出発は、鶴崎駅からだったが、私は、平和市民公園から大手公園までの約40分間、平和行進に参加した。
30人をこえる行進者。12時過ぎからは、大手公園で約100人が集まり集会。被団協のかたが、ごあいさつにこられていた。
「私たち被爆者は、高齢で一緒に歩くことができないが、気持ちは一緒です」
のことばに心があたたまる。
全国で平和行進が取り組まれているが、一番頭がさがるのは、各地で準備のために力をつくす人々。私の地域の日本共産党津留後援会会長のEさんもそのお一人だ。
また、大分市議のひろつぐ議員も準備に力をつくし、大分市内の行進はすべて参加をしている。彼も参加者に心を配る、素敵な人間(ひと)だ。
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2005年7月7日(木) |
長浜さまが終わった |
「七夕さま」というより、私にとっては「今日で長浜さま終わりやなあ」という感じの日。長浜神社のお祭り、「長浜さま」は毎年7月5日〜7日の3日間。必ず雨が降ると言われているが今年もその通り、5日に大雨が降った。
大分市児童養護施設わかば園に在職中の12年あまりは、毎年子どもたちを連れて長浜さまに出かけていた。わかば園の子どもたちにとっては今年最後の長浜さまになる。8月末には社会福祉法人の青松園と統合されることが、決定したからだ。
「古くてもいい。私たちの大事な家、わかば園をなくさないで」という子どもたちの願いも聞き入れられず、6月議会でわかば園廃園が正式に決定された。(日本共産党市議団は廃園の議案には反対をしました)
子どもたちの2番目の願いである「青松園とどうしても一緒にならなければならないのなら、先生も一緒に新しい園にいってほしい」という願いだけは何とか勝ち取ることができた。最低で1年半、長くて2年半、5名〜3名の市職員の派遣が実現したことが唯一の救いになった。
わかば園の廃園問題や私の児童養護施設での経験、子どもたちから学んだことについては、また折に触れて日記に書いていきたいと思う。
ロンドンの同時多発テロのニュース。命を暴力で奪うことは絶対に許せない。許されない。人は一人の命を救うために人類の英知を集めて力をつくすのに、その一方ではよりたくさんの人の命を奪うために知恵を使う。悲しくやりきれない。暴力の連鎖をくいとめるため世界の人々と手をつなぎたい。こう思う人は、きっと多いはず。
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2005年7月5日(火) |
パソコンがおともだち |
昨日からパソコンが一番のおともだちになっている。6月議会報告「こんにちは日本共産党大分市議団です」のニュースづくりに追われている。原稿はそれぞれ4人が分担するが、中心になってつくるのは今回は私の役目。今日の議員団会議で原稿や構成のチェックを1時間ほどおこない、夜仕上げ。なんとか今週末には印刷会社に持ち込み、第1稿を来週始めには間に合わせたい・・と思う。
テレビでは郵政民営化法案の衆議院通過のニュース。わずか5票差で衆院通過。なぜ、自民党を割ってまで強行採決か・・? 目的は340兆円の郵貯・簡保を、手ぐすね引いて待っている日本とアメリカの大銀行・保険会社に差し出すため。サミットのアメリカへの手土産のため、無理を承知で強行しているとしか思えない。国民にとって郵政民営化は百害あって一利なし。だから大分市議会でも全会一致で昨年6月議会で郵政民営化反対の意見書を国にあげているのに・・。
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2005年6月30日(木) |
障害者の方々の声が届く市政に |
大分市は障害者施策の見直しとして、所得制限を導入する意向を3月議会厚生常任委員会で打ち出しました。(私は、反対であることを意思表示しています)これは障害者施策の大きな後退を意味しますが、具体的には、市議会に提案されておらず、まして承認もされていません。しかし、市は「見直しについて」という文書を、市長名で関係市民に送りつけました。
このこと自体、市民にあたかも制度の見直しが決定したかのような誤解を与えるもので問題ですが、さらに見過ごせないのは、この中で障害者と同居の家族の所得・税額調査をおこなうことの同意書の提出を求めていること。この同意書が要求している「所得・税額調査」とは、直近(平成16年度)のものだけでなく、決まりもしていない制度改訂後(つまり、今後ずっと)も同意したとみなす旨が書かれていたのです。
これは所得税額調査に対する白紙委任を障害者及び同居家族に求めることです。私たちは6月1日、市長に中止を求める申し入れをすでに行っています。(市議団HP、トップページ記事参照)
今日は、市長文書に抗議するため、障害者の生活と権利を守る大分県連絡協議会(障大協)の方々が市役所に訪れた。私も、市に橋渡しをした議員として同席。
障大協の県の責任者の大林さんはわざわざ別府からの参加。「進んだ大分市の障害者施策を後退させないでほしい」と訴えられた。
私は隣にいたAさんの文字盤を使っての発言の代弁者にいつの間にかなっていた。制度の見直しの前に障害者の意見を聞いてほしいとの要望もだされた。行政は、いつも制度を後退させるときは、決定してから制度の対象者の意見を聞く。卑怯なアリバイづくりだと思う。
障大協の方々は市役所に足を運ぶために、水分制限をしたり、仕事を休んでこられる。障害者の代表として市はこうした方々の声をきちんと受け止めてほしい。
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2005年6月29日(水) |
1日7000円の費用弁償受け取り辞退を議長に申し入れ |
3時から長田議長へ議員団4人で「議会出席時の費用弁償の受け取りを辞退することなどの申し入れ」をおこなった。(詳しい文章は市議団ホームページトップに掲載しています。開いてみて下さいね)
議会出席時の費用弁償の廃止の議案提案は日本共産党の4人をのぞく、44人の手で否決されたけれど、このまま引き下がるわけにはいかない。1日7000円−6月議会は一般質問3日・委員会3日・開会日・閉会日で合計8日間なので5万6千円−を7月の議員歳費と一緒にもらうことになるが、6月議会から4人は辞退をする。
この議案を準備する過程で大阪の堺市議団から「受け取らなくても公職選挙法にふれる寄付行為にはならない供託という方法がある」ことを教えてもらった。ちなみに堺市は平成16年の4月から廃止された。
行政改革と声高にさけぶ議員が多いが、市職員や市民にかかわる経費の削減は提案しても、わが身を削ることには消極的らしい。議会が聖域になってはならない。「議会の意思を尊重してほしい」と議長は繰り返し言った。席を立つときに思わず「議長は議会のとき議長車が送り迎えするので交通費はいらないんじゃないですか?」と言ってしまったが・・。
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2005年6月27日(月) |
1日7000円の費用弁償は温存し、1年間わずか6000円の敬老年金の創設に反対とは |
議会閉会日
議会に出席すると1日7000円の費用弁償は温存し、1年間わずか6000円の敬老年金の創設には反対の44人の大分市議会議員・・・
9時から議員団会議。反対討論の原稿の最終チェックをおこなう。反対討論はいつも広次さん。なんとなく4人の役割がきまっている。
議案提案権を行使して提案した議案(非課税世帯への敬老年金の創設・市長などの常勤特別職の退職手当の削減・議会出席時の議員の日額7000円の費用弁償の廃止)は提案した私たち4人をのぞく44人の議員が全員そろって否決した。議会では「行政改革」「行政改革」を多くの議員が声高にさけぶけれども市長や自分たち議員が痛みをともなう行政改革には反対する、なんともなさけないではないか。
議員団会議で「議会出席時の費用弁償はうけとらない」ことを確認。
夕方5時から「選挙の自由をひろげ大石さんを守る会」の集会に参加。2年前のいっせい地方選挙で後援会ニュースを配ったと逮捕・起訴された豊後高田市議会議員大石忠昭さん(私が、とても尊敬している議員さんです)事件の内容は彼のホームページにリンクしてくださいね。今日は元国連人権委員会専門委員のエリザベス・エバットさんが証人として証言をされたのですが、残念ながら議会中。集会だけの参加になりました。
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2005年6月26日(日) |
すこやか祭りへ |
久々の雨。(しっかり降ったのは午前だけ)10時から私の地元にある医療生協の「すこやか祭り」に1時間ほど顔を出す。デイサービスや訪問入浴サービス、ヘルパーステーション、グループホームなど地域医療・介護の拠点の施設ができて2周年を迎えた。お風呂は天然温泉で喜ばれている。
男性職員が作ったお菓子や職員が利用者さんとつくった団子、カレーなどもりだくさんの出店。おおにぎわい。住み慣れた街で生活し家族がいつでも気軽に足を運べる場所に入所施設をつくりたいという思いでつくられた街中のグループホーム。ここで生活するNさんに久しぶりにお会いした。すっかりお元気で「Nさん私のこと覚えてる?」「忘れるわけないじゃないですか、小手川先生」「住み心地はいいですか?」「とっても!一人部屋だし、ここに来れて本当に良かったです!」
介護保険制度がまた、永田町の政治家の手でいじくられている。制度を変える目的は「高齢者が安心してより利用しやすいため」ではない。いかに利用する高齢者を減らすか、お金をださせるかの改悪だ。なぜ、この国の社会の土台をつくってきた高齢者にこの国の政治は冷たいのか。
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2005年6月24日(金) |
委員会最終日。野津原舟平の産業廃棄物最終処分場の視察へ |
今年1月1日合併により、野津原町が大分市になったことで、これまで県が管理していた舟平の安定型の産廃場が大分市の管理監督下におかれることになった。本来汚水が出ないはずの施設から汚水が流れ出て、安定5品目以外のごみが埋められていることは明らか。大分川の水源地に産廃場があるので、市民の飲料水に危険信号。ここ意外にも、野津原は産廃場の計画は出ては消え、出ては消えしているらしい。「水道水源保護条例などをつくり、水源地を守る工夫をしてほしい」と委員会で要望したが・・。
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