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◎「おなか記」バックナンバー 02
 おなか記 第8回
そして春、旅立ちのとき  2008年4月14日(月)
 春は旅立ちの時。
 私の周囲でも、さまざまな旅立ちがある。

 もっと早くに決心しても良かったのにと思っていた仲良しの同級生は、二人の子どもの巣立ちと同時に我が身もシングルとして新しい生活をはじめた。彼女に関しては離婚は悲しい結末でなく、解放と尊厳を守る大切な出発になるだろう。
祝杯をあげ、ともに喜んだ旅立ちだ。

 中学校で優秀な成績をおさめていた友人の子は、当然のように上野ケ丘高校に合格したものの、目標を定められず、大学進学をあきらめ、自分の内なる声に耳を傾けようと、大きな流れから飛び出す決心をした。

 期待とプレッシャーに押しつぶされようとしていた中での彼の選択は、少し時間がかかるかもしれないけれど、本当の自分探しという意味では勇気ある旅立ちだと思う。両親や周囲の思いに反するかも知れないけれど、私は応援者として静かに見つめていたい。

 大好きな姪っ子は先生や母親の話も聞かず、絶対に無理だといわれた希望する高校を受験し、みごと失敗した。大泣きをしたという話だけれど、そのいさぎよさと第二の旅立ちはきっと彼女を大きくするだろう。私はほめてあげたい。

 わが子も、中学校へと進学する。中高一貫の学校の受験や学校選択制による学校探し等、小学校から当たり前のように中学校へ行く時代ではないなか、昔のように普通に進学するだけだけれど、わが家にとっては大きな旅立ちだ。

 専業主婦で育てた長男と違ってこの市議団の事務局で忙しく働き回っている私は、当然のように手をかけられず自由に育てた(放ったらかした?)。おかえしは充分返ってくることだろう。思春期に向け反発や思ってもみない本人の希望に笑って答えられる私も、今までの性格から旅立たなければ。


 おなか記 第7回
今だから言えること  2008年2月15日(金)
 「なかなか更新されませんなー」
 「すごく楽しみにしてるんです。頑張って下さい。」
 はっぱをかけて下さる方々の声も遠ざかってから久しい。当然だが、私の中では実はホッとしている。

 市議団と共に仕事を始めてから、8年目を迎えようとしている。めまぐるしく動き回る彼らの行動にも、敏感に察知する考え方にも、とてもついて来れなかったが、それでも彼らをまじかに2期も見続けてきた。
 背筋を伸ばし議場に向かう彼らを「いってらっしゃいませ」と送り出し、会議や生活相談、出張や宣伝行動等ヘタヘタになって戻ってくる彼らを「お疲れさま」と迎えてきただけではあるけれど…。
 控室の空気にすっかり馴染み、古女房ならぬ古狸になろうとしている。訪ねて見える方々とも顔見知りになり、緊急の対応にも慌てずに答えられるようになった。
 4人の議員のそれぞれのテリトリーに於いての役割や人間関係、そして彼らが何を望んでいるのかも少しずつ感じられるようになった。しかし、それだけの事だ。

 うれしい話や元気の出る話は飛び交うが、彼らは愚痴をこぼさない。そして甘えない。
 頑張ってもうまくいかないことや、議員の力だけではどうしようもないことも沢山ある。考え方の違いやすれ違いで誤解されることも多々。スーパースターのように期待され、やれば当然と言われ、ミスをしようものならこてんぱんに非難される。よくまあめげずに、タフに走り回れるものだと、古狸である私は感心するよりも溜息をついてしまう。

 「健康だったら誰だってできるよ」
 口をそろえたように4人の議員はそう言い、黙々と次の課題に取り組んでいく。ごちゃごちゃ言ってる暇もないし、くよくよする間もないのが正直な答えかもしれない。

 私だから言えること。
 共産党の議員はスゴイ!!だけど私は、共産党の議員にはなれないし、なりたくないナー。


 おなか記 第6回
「先生!がんばります」  2007年6月13日(水)
 先月5月、13年ぶりに、福岡の新日本婦人の会「子育てサークル」で出会った仲間との同窓会に参加した。
 皆に会った瞬間、当時にタイムスリップしてしまい、途切れることのない会話と笑いに包まれ、これまでの嫌な事もシンドサも吹っ飛んでしまった。

 当時、私たちの講師として、またある時は人生の先輩として、指導してくださり相談に乗ってくださっていた支部長さんは、高齢で病気がちと聞いていたにもかかわらず、生き生きとしていて、輝くような瞳で私たち一人ひとりを、まるで娘のように暖かく迎えてくださった。

「皆さんといると、私も若返ります。皆さんのエネルギーのオーラが溢れていて、素敵ですね。」

 みんなが気持ちよくなるようなほめ言葉。自然にがんばろうという気になってしまうねぎらいの言葉。まさに、人生の教師だ。

 この方に会わなければ、今の私もなかったと思う。貴重な出会いだ。そして、その時々にかけていただいた言葉が、今でもはっきり自分のなかに息づいていて、今日までいろんな場で、自分を励まし支えてくださったことに改めて気づかされた。

 そんな、尊敬する大好きな先生が、失敗を繰り返しながら市議団の中でもまれている私を、目を細めて褒めてくださった。幼いころ、母親に頭を撫ぜられたような想いにも似て、くすぐったく胸が熱くなった。

 あー またまたがんばらなくてはいけない……


 おなか記 第5回
「2007年」を迎え  2007年1月24日(火)
 新しい年を迎えたのだから“気持ちを新たに!”と思っても、昨日までの想いにどう区切りをつけるのか‥‥
 昨年、辛い思いや重苦しい話・いろんな別れを経験した私は、言葉を失ってしまった。さまざまな想いは複雑に交差して、うまく表現することができない。器用だと思っていたのだけれど、実は生きていくことにとても不器用だったことを思い知らされた。
 たまに会う姉が、
「酔うと何度も同じことを言って困るのよね。」
というが、「表現も行動もできないもどかしさが、酔った勢いでボロボロでちゃうのよ‥‥」と下を向いてブツブツ。(もしかしたら酔っ払いはみんなそう言っているのかもしれない。イヤだからお酒を飲まないヤツハ嫌いなんだ!)

 よく、感情表現が上手いと言われてきた。素直と正直がとりえだとも思ってきた。しかし、ここにいるとそれが裏目にでる。現実の辛さや悲しみ、解決のつかない重い問題、行き違った感情のもつれ、そして届かない想い……。
 それらを前に、ただ黙って何もできない自分がいた。それだけではなく、その想いはどこへ行っても、誰に会っても、何をしていても吹っ切れることがない。精神的にバランスを失いそうになっていた。
 遅くに家に戻ると、胸が焼けるようなお酒を流し込み、ホッと一息。アル中ではないけれど区切りをつけることが出来ない私は、そうやって現実と自分の感情から逃げる日々が多かった。

 年末年始、久しぶり特別休暇をいただいた。この仕事についてから、知らないことだらけの私は、振り返る間もなく、めまぐるしさと忙しさでバタバタと6年間を過ごしてきた。何処かで区切りをつけたくて、また自分らしさをとりもどしたくて、ここから逃げること(仕事をやめること)がいつも頭の片隅にあった。

 ところが、大好きな息子たちは
「お母さんには、向いてるよ」
とさらっと言い、やめるどころか応援団になってくれる。驚きと戸惑いの中、初めてこの6年間を振り返ってみた……。
 そういえばいろんなことがあった。ここでしか聞けない、議員からの話。ドロドロした政治の話。何が一番大切かと考えさせる話……。
 議員の役に立つようにと思ってがんばってたつもりが、実は見守られていたのだ。そして、私の成長の場にして頂いていた事に気がついた。
 ドラえもんになってみんなを助けたいなんてとてもとても。

 思いやりとお節介、優しさと甘やかし。似ているようで似ていないそれぞれの違い。
 また、自己と他人の理解の範囲や深さの違い。
 運動してはじめて見えてくること、自分の意思を貫く大切さ……。
 ──そのひとつひとつが、私の歩みを確かにする。それらはいままで誰からも教えてもらうことがなかったことだ。

 「ありがとうございます」の気持ちで、大切なことをひとつずつ確実に身につけ、本当に役に立てる一員になりたいと思った。

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