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◎「おなか記」バックナンバー 01
 おなか記 第4回
「学校選択制」のこと  2006年2月5日(日)
 前回から、半年近くが過ぎてしまった。

 途中まで書かれ変色した“おなか記”が、たどり着く場所もないまま、部屋の隅でじっと私を見ている。意識の底ではそれを捉えながら、どうすることもできない日々が続いた。

 どうも人間があっさりしていないせいか、伝えたいことが山のようにあるのに、自分の感情と向き合うのが怖くなってしまう。季節の移ろいは私の横を摺り抜けるのに、それを感じることもせず、ごまかしながら過ごしてきたような気がする。

 そんな中、突然降って湧いたように知らされた「学校選択制」の問題。昔からずっと当たり前とさえ思っていた義務教育の制度に、今、「ちょっと待った!」がかけられ、変えられようとしているのだ。
 小学生を持つ母親として、目の前に突きつけられたこの問題に対し、否応なく判断が迫られる。「どうして今学校選択制が必要なのか」という疑問と、「それが導入されたらどうなるのか」という不安。その答えを探すべく、教育委員会の説明会と第4回大分市立小中学校選択制検討委員会の両方に参加した。

 そしてようやく問題の糸口が見えはじめたところで、“しずかちゃん”こと小手川めぐみ議員は、私に大きな、大きな、宿題をくれた。
 ある集会での「学校選択制」についての報告と、教育問題の学習会をしている方々へのチューター役というのがそれだ。
 「エッエ〜」
 戸惑いながらもまず、莫大な資料を黙々と読み続けることから始めた。

 気になる部分では新聞をめくり、引っ掛かる記事は次々とコピーし、新たな資料にしていく。家に帰ってからも家事も早々に、報告の原稿作りに、わが子の小さな机を借りることにした。そんな母親の初めての姿に、何度も何度ものぞきに来てはエールを送ってくれる子ども。

 とりあえず、集めた資料を整理し組み立てて行く。問題点とその答え。最終的にどう持っていくか…… 行ったり来たりしながら夢中で書き続けているうちに、原稿はレポート用紙10枚ほどに膨らんだ。さて、今度はこれを10分間にまとめなければならない。全部伝えたいことばかりなのに……。

 翌日、無事報告も終え、久々の充実感と安堵感を味わうことが出来た時、私はハッとした。 そうなのだ。わがドラえもん集団は、議会の質問原稿を作るために、いつもこの大変な作業を繰り返しているのだ。
 それがどんなに大変な仕事であるかは、側で見てきて分かっていたつもりだったのに、いつの間にか慣れっこになっていた。心のどこかでは「議員なのだから当たり前でしょ」なんて簡単に考えていたのかもしれない。

 彼らは毎回、産みの苦しみを繰り返しているのだ。それも、あの事もこの事も平行にこなしながら。
 「スゴイナー!」
 月並みの賛辞だけれど、ほんの僅かでも似たような経験をさせてもらった私は、感動にも近い思いでつぶやいてみる。

 彼らのドラエモンになりたいと願っていたはずなのに、猫のように怠慢に過ごして来た今日までの私。でも、ようやくたどり着いた……

 「ごめんね、しずかちゃん」
 「ありがとう、しずかちゃん」

 季節はもう春を迎えようとしている。


 おなか記 第3回
さあ、総選挙だ  2005年8月23日(火)
 7月と8月のこの時期は、夏休みやお盆休みで、日本中が中休みを迎えるのではないだろうか。しかし我が市議団にとっては相変わらず忙しい毎日が続いている。

 ジャイアンこと大久保団長は、懸案事項の解決のため、省庁への陳情やレクチャーに明け暮れている。
 しずかちゃんこと、紅一点の小手川議員は、以前の保育仲間と保育研究会の全国大会に参加したり、児童虐待問題の研究講座で熱心に勉強し、未来の子どもたちや母親を助ける方法を模索している。
 すねおちゃまは今回は広次議員だ。平和行進の先頭に立ち、真っ黒に日焼けしながらも、メガホンから9条の大切さや、核兵器廃絶について、声を限りに訴えている。
 のびたくんは、今回は福間議員になる。民主団体や地域の問題解決のため、対市交渉や申し入れを行うかたわら、次から次へと生起するさまざまな生活相談にのるため、汗を拭き拭き走り回っている。

 同時に彼らは、間近に迫った9月市議会にのぞむため、最後のツメの作業に入っている。調査や質問原稿の見直し、活動を支えるためのカンパ、支持拡大の活動に大忙しの状態だ。9月議会までのスケジュールは、ほとんど分刻みでビッチリと立てられていた。

 と、ここに降って湧いたような突然の衆院解劇。そして総選挙。これまでの仕事は抱え込んだまま、一気に当初計画は吹き飛び、選挙モードに突入した。議員の出払った控え室は、ガランとして、突然淋しくなってしまった。

 「ひどいヨー。そんなのムチャだヨー」
 私はひとりつぶやいてみるが、選挙という政治決戦において共産党の値打ちを宣伝することは、彼らにとって何よりも大切な役割の一つなのである。そう、彼らは、大分市での日本共産党を代表しているのだ。

 郵政民営化で税金の無駄遣いがなくなる
 郵政民営化でサービスがよくなる
 郵政民営化で小さな政府が実現する

 国会の論戦の中で、とっくに破綻しているこんな見解を、いまだに信じている人がいる。テレビを見ても新聞を読んでも、こうした主張がが、ことごとく国会で論破されてしまったという事実すら、ほとんど伝えられていない。民営化が何かよいことのような、そんなムードだけが増幅される。郵政民営化が国民にとって、よいことなのか、悪いことなのか、まじめに検証する報道は皆無といってよい。

 だからこそ、日本共産党の出番なのだ。福祉の切りすてや増税を競いあう政党から、どちらのマニュフェストを選びますかと問われても、答えられるはずがない。正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、きちんと筋を通すことのできる「確かな野党」が日本には必要である。我がドラえもん集団のマイクを握る手に力がこもる。

 私は我が子を育てながら、嘘をついてはいけないこと、人に対する思いやりをもつこと、平和であることの大切さを語ってきた。勇気はやさしさの中にあること。そしてやさしさは自由と責任を自覚することだと伝えてきた。
 そしてこの子を守るためには、政治に無関心ではいられないことを、今度は我が子に教えられてきた気がする。家庭生活をよくすることは政治をよくすることを抜きには語れないことを、私はようやく理解できるようになった。

 そうなのだ。母親としての私の思い。私と同じ格闘をしているのが日本共産党なのだ。子どもを守ることは母親だけではできない。母親は子どものために死ぬことだってできるが、受験戦争をやめさせることも、本当の戦争を止めることもできない。消費税率の引き上げをストップさせることもできない。子どもたちの環境は政治に負うところがあまりにも大きい。

 母親と子どもの願いをかなえるため、今日も我がドラえもん集団の格闘が続く。
 もし本当のドラえもんがいたならば、そのポケットからいろんな道具を取り出して、彼らを助けてあげることができるだろう。

 ドラえもんになって彼らを応援したい。私は心の底から思った。


 おなか記 第2回
6月議会を終えて  2005年7月20日(水)
 6月市議会が終わった。6月市議会は、年4回開かれる議会の中でも影の薄い存在と感じる人も多いだろうが、私にとっては忘れられない議会となった。我が共産党の市議団は、この市議会に4つの議案を提案したのだ。

 言うまでもないことであるが、市議会は市の立法機関である。市の各種条例は、すべて市議会で審議し、決定される。そして議会に対し条例案(議案)を提案する権利を持つのは、市長と市議会議員である。しかし、現在の大分市議会では、4人以上の議員を持つ会派でなければ、この議案提案権が許されていないのだ。今度の市議選で、4人の共産党の候補が全員当選した喜びを、私は改めてかみしめた。

 選挙中、要望の多かった敬老年金は、私としても何とか復活させてほしい。議案提案権は、市民の声を市政に反映させる上でもっとも大きな武器である。しかし、この大切な「議案提案権」をほとんど行使したことのない会派が多いのは、本当に残念なことだ。共産党の市議団に限っては、寝食を忘れて、100%有効に活かしきろうとしているのに・・・。

 さて、議案を提案するには予算の裏付けが必要である。共産党を知らない人からは
「共産党は何でも反対」
「理想論ばかり言って現実を無視している」
などと影口をたたかれることがある。冗談ではない。私の知る限り、共産党市議団が現実を無視した議案を提案したり、市長提案の議案に機械的に反対したことは、一度たりともない。それどころか、どんな小さな改善でも、市民に取って利益になることは、最大限汲み上げようとするのが共産党の姿勢である。
 第一、何でも反対するだけの市議団であれば、他会派に先駆けて議案を提案する必要がどこにあろう。どうして、4人の議員全員が議会でフルに発言する必要があるだろう。議員たちの血のにじむような努力を知っている私は、こうした影口が悔しく、そして悲しくなる。

 厳しい予算の中、新たに敬老年金を復活するためにほ、どこからお金を引き出すか・・・。行革が叫ばれる中、それを可能にするための財源を見つけることは容易ではない。市財政の根本を一つ一つチェックし直し、市長や特別職、教育長の異常に高い退職金や、議員の費用弁償の問題にたどり着く。(これらがいかに市民感情から離れた額であるかは、市議団のトップページを参照してください)

 休日を返上し、一般質問の原稿作りに追われながらも、各方面を調査し、議論を重ね、可能な財源を見つけるたびに喜び、そうして条例案を作って行く。控室の空気は、少しづつ緊張に引き締まりビリビリしてくる・・・。
 私はこの緊張の中にいて相変わらず何も手伝えず、ただ雑用をこなしているだけだ。我が子の受験勉強に、熱いコーヒーを差し入れるだけしか出来なかったり、我が子が友達とうまく行かずに悩んでいたとき、その悲しい想いを、ただ聞くこしか出来なかったときと同じように。

 けれど、私はそれだけで胸がいっぱいになってくる。議員たちは苦悶しているのだ。スルメをかじりながらパソコンに向かったり、ああだこうだとイライラしながらチョコレートをほうばったり、長椅子に横たわったかと思うと、いびきをかいて寝ていたり・・・。
 スーパーマンでない彼らは、市議会での颯爽とした態度とはうってかわり、こんなにも地味に、こんなにも人間くさく努力しているのだ。私は「公僕たる議員」という民主政治の原点を見つめ直す。「これが原点なのだ」と、改めて思い至る。彼らの純粋な想いが伝わってくるからだ。愛すべき私のドラエモン集団・・・

 こうして努力して練り上げた議案なのに、そして、こんなにも市民の立場を貫いたものであったのに、結局議案は、我が議員団以外全員の否決で廃案になってしまった。それにしても、私は誇らしくてたまらない。
「費用弁償廃止が否決になって、共産党もホットしたんじゃない?」
と、イヤミを言う他会派議員もいたけれど、我が議員団は費用弁償の受け取りの辞退を発表した。議案の提案者としての筋を通したのだ。自らの痛みに耐えて。

 我が議員団はすがすがしい顔をして、もう次の取り組むべき道に走りだしている。私は、ドラえもんになったつもりで「のび太君、えらいゾ!!」と、何度も心の中でくり返していた。生涯忘れられない6月議会の思い出である。


 おなか記 第1回
素敵なドラえもん集団  2005年6月30日(火)
 「おなか記」の第一回目は、私自身について書こうと思う。

 4年前の大分市議選のまっただ中、前任の議員団事務局の方が病気で退職することになり、その後任として、私に声がかかった。私には任が重すぎるとためらったが、とりあえず、機関紙業務と、市議団の窓口受付でいいということだったので、深い意味も考えず引き受けることになった。

 「どうして私が?」と、迷いつづける私に、当時相談にのってくれていた方は、「運命かもしれないよ」と、笑って背中を押してくれた。
けれど、独特の雰囲気による緊張と、知らないことだらけの上に機械オンチの私は、ただオロオロするばかりで、役に立つはずもない。劣等感と、場違いな仕事という意識がついてまわり、やめるチャンスばかりをうかがっていた。当時の私は心身共につかれて、ずいぶんやせ細ってしまった。

 そんな私が4年間もこの仕事が続けられたのは、4人の議員に励まされたからである。彼らは家族のための時間や、自分のための時間をさいてでも、日夜住民のために動き回り、常に活動の先頭に立ち、機関紙の拡大、配達、集金といった地味な仕事も受け持ち、疲れも見せず、愚痴も言わず、こころざし高く頑張っている・・・・ その姿に私は、すっかり胸を打たれてしまった。

 どんな形にせよ、この仕事を引き受けた以上は、少しでも議員たちの役に立ちたいと、私は強く思うようになった。また、同時に議員の姿を通じて、共産党の活動の素晴らしさを知った。私も社会を少しでもよくするために、自分でできることから参加してみたいと感じ始めていた。

 いちパートに過ぎない私に、4人の議員はやさしかった。何も知らない私に、丁寧なアドバイスや指導をしてくれ、いつも対等平等に接してくれる。議員であるという特権意識などは微塵も感じさせない。彼らの誠実で民主的な態度に、私は驚きととまどいを感じながらも、次第に居心地のよい職場だと思うようになった。

 ドラえもん集団のようなわが議員団──(もちろんジャイアンは議員団長の大久保さん。しずかちゃんは紅一点の小手川さん。のび太とスネ夫は広次さんと福間さんがときどき入れ替わりつつ・・・)の、ドラえもんに私がなれたらいいなと、4年間必死で走ってきたように思う。いまだにドラえもんにはとてもなれないけれど、私の議員たちへの思いは変わらない。

 そばにいて、その活躍を見ているだけでも、幸福な気持ちになれる。ここにいて、本当によかったと心から思う。

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