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海の日固定化を求める意見書に反対
2022年6月27日(月)
 (全文)日本共産党の福間健治です。私は、日本共産党を代表して、意見書案第1号、国民の祝日「海の日」の7月20日への固定化を求める意見書の提出について、反対討論を行います。

 「海の日」は、1995年に国民の祝日に関する法律で、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日として「祝日」として制定され、1996年7月20日から実施されましたが、その後、2001年の祝日法改正(2003年施行)で「7月20日」から「7月の第3月曜」に改められました。

 日本共産党は、海の環境や資源について考えたり、海に親しんだりする契機となる国民の祝日として「海の日」を設けること自体には賛成でしたが、「7月20日」にすることには反対でした。そのため、「7月20日」から「7月の第3月曜」に改める改正には賛成しました。

 「7月20日」を「海の日」とすることに反対した理由は、この日が戦前の「海の記念日」に由来しているためです。

 戦前、「海の記念日」を設けたのは、真珠湾攻撃で対米英戦争を開始した1941年(昭和16年)で、「徹底的なる戦時態勢を必要とし、なによりも国力を充実すべき。…海の記念日はかやうに、堅実なる国力の充実をはかるための契機たらんとする」ためと、当時の尾関將玄・逓信省管船局長が発言しています。

 戦争の遂行上、海上輸送で船員や船舶の徴用と調達のために、海運関係者のみならず、国民こぞって支援の雰囲気をつくることをねらいとしていました。そのため、逓信省管船局は、軍艦でなく汽船「明治丸」で、1876年(明治9年)7月16日に青森・北海道方面に巡行し、20日に横浜に帰った明治天皇の行動に着目して、20日を「海の記念日」に決めたとされています。

 明治天皇のこの巡行の目的は、明治新政府の地租金納制や徴兵制に対する不満が強かった、東北の民衆の感情を抑えるためだったと言われています。こうした日を戦後に引き継ぎ、「国民の祝日」とすることはふさわしくありません。

 しかし、「7月の第3月曜」に改める改正は、従来からの日本共産党の主張に合致するうえ、連休・3連休の増加は労働者にとって強い要求であること、レジャー等の関連団体の合意も得られていることなどの理由で賛成しました。

 こうした経過を踏まえれば、国民の祝日である「海の日」を、7月20日に固定化すべきではないと考えます。

 以上の理由から、意見書(案)第1号、国民の祝日「海の日」の7月20日への固定化を求める意見書の提出について、反対の立場を表明し、討論を終わります。



《参考》議決された海の日を7月20日へ固定化することを求める意見書は こちら

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