子育て真っ最中だった1990年代後半は、社会を震撼させるような事件が相次ぎ、子どもを連れて外に出ることに恐怖を感じるような世の中でした。
子育てをしながら、社会的な不十分さを感じていました。「子連れで行ける場所がないじゃない!」
当時は、"子育て支援"という言葉すらなかった時代でした。
子どもを連れて安心して集える場所が欲しい。肩身の狭い思いをしなくても、子どもと一緒にくつろげる空間が必要!その願いを実現するため、自分にできることを考えました。
2DK の自宅アパートでは無理。それならば……と、不動産屋を回り、明野で家賃28,000円のアパートを発見!
1997年6月、なけなしのお金をはたいて、このぼろアパート(注:残念ながら、すでに取り壊されました)で始めたのが、私設の子ども文庫『子どもと本の部屋 エルマー』でした。絵本の貸出しをするこの場所が、お母さんたちをつなぐネットワークの出発地点です。
1999年、長男の小学校入学を機に、当時はまだ行われていなかった朝のよみきかせ活動スタート。
よみきかせの拡大を次の目標に掲げながら、鍵がかかったままの学校図書館を変えたくて「学校図書館に人を配置するための署名運動」もスタートさせました。
学校現場を変えるには、行政への働きかけが必要になります。こうして、大分市議会への陳情や教育委員会への申し入れが始まりました。
この運動を続けながら、議会の傍聴席で強く感じたこと。それは、「現場の実態や声が十分に伝わっていない!もっと、私たちの声を聞いてほしい!」という、強い思いでした。
その悔しさを受け止め、共に動いてくれたのが、当時の市議会議員だった小手川めぐみさんでした。
議員になるきっかけは、まさにこの学校図書館運動と、力を尽くしてくれた共産党議員さんの存在だったと思います。
2007年9月、長きにわたる子どもの読書推進活動の集大成とも言える、学校図書館支援員の配置が実現!
抱える課題はあるものの、大きな前進を果たしました。
願いを要求にし、それを実現させるための努力が必要。その声に耳を傾け声を届けてくれる、行政サイドへの橋渡しも不可欠。時間と労力はいりますが、運動をすることで私たちの願いは実現する!
──それを確信する歩みとなりました。
そんな時に、言われた言葉。
「もっと言いたいことがある?じゃあ、あなたがやってはどう?」
多くの市民の願いが実現できるのならば…。自分の中に、不思議と違和感はありませんでした。
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